事の発端は13日21時頃に発生した地下鉄・大阪メトロ中央線の運行停止であった。大阪・関西万博の最寄り駅は中央線「夢洲駅」であり、公共交通機関を利用して万博へやってきた人たちの一部は復旧までの間、万博会場内で待機せざるを得なかったのだ。そのため、一部のパビリオンでは深夜後も施設を開放し待機客を受け入れていた。一連の出来事はネット上で「オールナイト万博」とも呼ばれ世間の注目を集めていた。
実は大阪で開催された万博で多くの帰宅困難者が出た事件は今回だけではない。実は1970年に開催された大阪万博(日本万国博覧会)でも帰宅困難者が続出し4000人あまりが会場内に野宿するという出来事があったのだ。
9月5日、以前より大盛況であった大阪万博は来場客数のピークを迎えており期間中最多となる83万5832人を収容していた。そのため鉄道をはじめとする交通機関が麻痺してしまい、帰宅の足を失った4000人が会場内で野宿する道を選んだのだ。
当時の映像などを確認すると、万博会場内で野宿した人達は老若男女問わずコンクリートの床や階段に座り込み寝転がって休んでいる。昭和時代はスマホなどもないため取り残された人たちは寝る以外の事はできず、ただひたすらに朝が来るのを待ったようだ。また、翌朝には新規来場客とのバッティングもあり、駅員が「危険なのでお子様連れの方はお帰り下さい!」と叫ぶ様子などが記録されている。
55年後に開催された「EXPO 2025 大阪・関西万博」は1970年の時とは、時代も状況も大きく異なっているが、交通機関のトラブルはいつの時代も突然発生するものなのである。