―吉本興業と契約を結ぶこととなった経緯を教えてください。
大分前に、お笑いコンビ・極楽とんぼの山本圭壱さんから「けいちょんフェス」に呼んでいただいて、イベントに参加したのがきっかけになります。
他にも「ハマラジャ」(テレビ東京系)というダウンタウンの浜田雅功さんやYOUさん、魔裟斗君たちと番組に出演させてもらっていたので、吉本さん自体とは、つながりがありました。
―最近のネットニュースでも浜田さんとの再会が報じられていましたね。
はい、プライベートで焼き肉に行って以来、何十年ぶりの再会でした。浜田さんはちょうど静養から復帰されたタイミングです。元気そうでよかったです。吉本に入ったことについて「なんで」とツッコまれました。いろいろな人から同じようなツッコミされています(笑)。ミュージシャンのイメージが強いからでしょうね。
タレントとして活動していくと話すと、さらに驚かれます。本当に「なんで」って感じだとは思います。自分でもよく分かっていません(笑)。自分が苦手な分野ってタレント活動なんですよね。実業家としては全部チャレンジしてきて、もうできないことはないと思っています。だから、苦手なことに挑戦したいと思ったことが一番大きいですね。
吉本さんとエージェント契約したのも、苦手なものに挑戦したいからです。タレント業は本当に断ってきました。バラエティー番組のオファーはとても多かったです。ミュージシャン像を壊しちゃいけないという、事務所の方針でもありました。例えば、歌いながら落とし穴に落ちるとか、モニタリングのカラオケとかですね。怖くて断ってきました。
―「19」の相方の岩瀬敬吾さんとの関係性をどのように捉えていらっしゃいますか。
あえて言葉にすると「戦友」ですね。言語化しにくいですが、あのまま解散せず、ずっと一緒に戦って仲間でいたかったんですけど。「19」でデビューして、21歳(本人談)で解散しています。
はるか昔の話なんですが、高田馬場の専門学校のボーカル科に通っていたんですよ。1年くらい経ったときに、敬吾君が「才能ない」って言いだして、さらに先生とぶつかって、「もう広島に帰る」っていっていたのを止められてよかったです。そのときに「プロデューサーに会ってみる?」と聞いて、それから「19」が始まりました。
敬吾君は僕にとって大事な存在です。今でも連絡しようと思ったら、いつでも連絡できます。本当に大事な存在で、いろいろ助けたいと思います。彼の子どもが大きくなったから、よけいにそう思うのかもしれません。
―何事もきっちり決めてからやるタイプとお聞きしていますが、他にこれだけは譲れないというものはありますか。
「19」という大事なグループを解散しておいて、真逆のことをしているんですが、人に迷惑をかけないことですかね。仕事をきっちりやるというか。仕事じゃないときはいいと思うんですよ。仕事はお金が絡むのできちんとしないといけないなと思います。実は、僕はたくさん仕事でだまされてきました。例えば、仕事の代金を払ったあとに会社を倒産されたりですね。いろいろ経験して、迷惑かけないことですね。
解散させたお前が何言ってんのと思われるかもしれませんが。「19」は僕の中でお金の問題じゃありませんでした。あのときは何十億も稼げることが見えていました。21歳でしたが、「19」を続けていればどれだけ稼げるか、分かっていました。解散する決断が某なんたら先生みたいになってきましたが(笑)
―今後も音楽活動は続けられるのでしょうか。
はい、レコーディングスタジオも持っているし、社員ほぼ全員がミュージシャンなので。吉本さんに所属しているアーティストさんや芸人さんを音楽でお手伝いできたらと思っています。
―最後に今後の仕事の展望を教えてください。
バラエティー番組で、僕のポンコツなところやダサいところを見て笑ってください、と思って挑みます。僕には怖いものは何もありません。かっこつけて音楽をするっていう年齢でもありません。人間味たっぷりというか、ポンコツ具合を楽しんでください。
「19」解散について、「お金の問題じゃない」と話す岡平。譲れないものがあったのだろう。今後はこれまで避けてきたバラエティーに挑戦するとのことなので、お茶の間をどのように楽しませてくれるのか、期待したい。