西田昌司参議院議員が沖縄で開かれた憲法シンポジウムの講演で「ひめゆり平和資料館の説明ぶりは日本軍が入ってきてひめゆり隊が死に、アメリカが入ってきて沖縄は解放された」と発言したと報じられ、全県的に強いハレーションを引き起こした。県議会、市町村議会が抗議決議をし、石破茂総理が玉城デニー沖縄県知事に陳謝する事態となった。思い付きで事実と異なることを受け狙いで公言することは、厳に慎むべきで言うまでもない。この批判の大合唱について西田議員は月刊誌「正論」7月号で「発言訂正の真意」と題する釈明の寄稿をしている。その肝は、「アメリカが入ってきて沖縄は解放された」という歴史認識が問題というものだと思った。

沖縄戦の住民の体験記などを調べると、軍と協力して米軍と必死に戦ったとする一方で、沖縄南部に避難した人々が隠れたガマ(壕)を日本兵によって追い出され戦場をさまよい、なけなしの食料を強奪。果てはスパイ容疑で味方と頼った兵士に殺害されたとの証言がみられる。

言論統制下に常勝日本軍と喧伝し、住民が頼った兵士が、戦場で住民に牙をむく。住民は失望を通り越して、裏切られたと怒りを引き起こし、味方が敵だったとの認識を与えるものだろう。米軍は戦場で物量に任せて無慈悲に殺りくする一方、投降した住民や兵に対して、食料を与えて保護したのだ。勝者の余裕と宣撫工作という側面は否定できないが、戦場の体験は間違いなく日米兵士の違いを認識させるものだ。

平和資料館は否定しているが、現象面では日本軍が入ってきて、必死に傷病兵の看護をしたひめゆり学徒隊が死に、アメリカが沖縄を解放したと言える側面は否定できない。歴史は、事実を基に組み立てられるべきで、たとえそれが受け入れがたいものであっても、未来への警鐘として甘受するべきだと思う。筆者は京都選出の野中広務元官房長官から「タクシー運転手が、嘉数のあの場所で妹が日本兵に殺されたと泣いて訴えた」と聞いた。京都出身兵は宜野湾市嘉数台で勇猛果敢に戦い多くが倒れ、沖縄戦全体で2536柱が京都の塔に祭られている。西田議員の発言には、野中氏が草葉の陰で泣いていると言わざるを得えない。
取材・文/照屋健吉 リアルライブ編集部