
事の始まりは、那覇市のど真ん中に位置し56ヘクタールの広大な面積を有する米軍那覇軍港を半世紀前に日米が返還合意したことである。返還に当たり、米軍が代替港湾施設を要求して行き先を見付けられずにいたのである。米軍は基地返還に当たっては基地機能の維持を理由に代替施設を要求する傾向がある。読谷村(よみたんそん)にあった電波傍受施設の楚辺通信所、通称「象の檻」は、キャンプハンセンの奥深くに移設された。普天間飛行場は移設条件が付き、市民運動の反対に直面しながらも辺野古で工事が進行しているのはご承知の通りだ。

米軍は陳腐化した基地機能の更新強化、日本政府は安全保障上のチョークポイントと言われる沖縄にアメリカ軍を引き止めるメリットがあるようだ。移設先の浦添市は、埋め立てを最小限にするために長い間、抵抗の姿勢を示していたが、南側に縮小して移設することを条件に防衛省、県、那覇市と合意にこぎ着けた。松本哲治浦添市長は、軍港受け入れは本意ではないとの意向をにじませながらも「返還されるキャンプキンザーの再開発への国、県の協力を得るために苦渋の決断だった」と話していた。一方で沖縄県の玉城知事は普天間基地の辺野古埋め立て移設には強く反対しているが、同じ海を埋め立てる浦添軍港には同意している。
この矛盾した二重基準には支持母体から疑問が呈されている。代替地に選定された浦添西海岸は、陸地側の兵站基地、キャンプキンザーの返還が決まり、夕日が見える都市型リゾートとしての発展が期待されている場所である。市民のいこいの場となっている海を維持したいとする心の叫びの一方では、悪化する安全保障環境に協力することで得られる経済的利益の戦いが始まろうとしている。遠い将来に米軍の駐留が終わると港湾施設という巨大なインフラが残るメリットが救いかもしれない。