7月2日に投稿された十島村役場ホームページの「報道の皆様へ・現地への配慮のお願い」というエントリーによると「多数の報道の皆様からの問い合わせや取材が来ており、住民から、問合せへの対応に疲れを感じる、との意見もいただいている」「住民の寝不足や疲れも溜まっておりますので、現地への問い合わせ取材等は、過度にならないよう、配慮いただきますよう、お願い申し上げます」(十島村役場ホームページより)と書かれている。
十島村は鹿児島県南西部の有人七島と無人島五島が合わさった僅か約700名の村民が住む地域であり、現在は地震をきっかけに島外へ避難する住民も増えている。
その一方、マスコミによる十島村へ報道は日夜続いており、特に7月5日は漫画発信の震災予言に関する流言が話題を集めた事もあり、住民達への精神的負担が大きかったようだ。
ネットでは、今回の十島村からマスコミに対する要望に関しては、過去に実際あった地震の二次被害から事前に防ぐ意図があったのではないかとされている。
その二次被害とは1991年に発生した長崎県島原半島の雲仙普賢岳の噴火である。この噴火による火砕流によって計43人が死亡したのだが、うち20人が報道関係者(テレビ局がチャーターした運転手含む)であった。
当時の報道カメラはデジタルカメラではなく、また遠隔操作ができるドローンもなかったため、かなり被写体に向けて近づく必要があった。そのため、報道各社は他社に負けないよう市からの避難勧告を無視し溶岩ドームから3キロほどしか離れてない地点に記者を派遣していた。その結果、火砕流に巻き込まれ多くの報道記者やカメラマン、見回りにきていた地元の消防団や警察官数名が死亡したのである。
当時、この事件は「愚かなマスコミ報道」「マスコミの暴走で被害が出た」と災害報道とマスコミの在り方が問題視された。
本事件は当時大々的に報じられたこともあり、2025年現在も本事件を記憶している人も多いためネットでは「十島村を第二の雲仙普賢岳にしてはいけない」「雲仙普賢岳に学んで欲しい」といった声が日夜投稿されている。
現在、鹿児島県十島村における地震はどこまで被害が広がるのか不明なため、役場としてもマスコミ対応には頭を悩ませているのだと思われる。