折から、自民党内は田中派、大平派の主流派と、福田(赳夫)派、三木(武夫)派ら反主流派との対立が収まらず、それを引きずる中で史上初の衆参ダブル選挙に突入していた。大平はそうした心労、遊説などの強行軍も手伝ってか、選挙戦のさなかに入院を余儀なくされていた。
大平はまた、選挙後の政権基盤をどうするかでも頭を抱えていた。党内融和に努める一方で、選挙結果によっては野党との連携も含めた政界再編の必要性も出てくるかもしれない。政局の分析、にらみが抜群の田中角栄が、そのあたりをどう判断するか、話し合ってみたかった。この衆参ダブル選挙という選択も、田中の「これで行けば必ず勝てる」との強い進言を受け入れたものだったのだ。
その頃、一方の田中は、田中派議員の応援要請で全国を遊説中であった。6月11日、折から自らの選挙区の新潟にいた田中は、大平の病状が芳しくないとの連絡を受け、長岡から予約していた特急「とき」(その頃はまだ上越新幹線は工事中だった)をキャンセル、急きょヘリコプターをチャーターして東京に舞い戻った。ところが、虎の門病院前は大勢の報道陣が張っており、こうした中で田中が来れば大混乱は必至、ために田中は翌早朝に見舞うことにした。
しかし、日をまたいだ深夜、大平の容体は急変し、午前5時54分、心筋梗塞によって逝去した。その一報を目白の自宅で受けた田中は、「呆然と立ちつくし、虚空をにらんではらはらと涙を流した」(『殉職総理』杉田望・大和書房)そうである。その後、大平の遺体と向かい合った田中は、ただ号泣するのみだったとされている。
それから10日後となる6月22日の投開票日、自民党は衆参とも圧勝した。自民党本部には大平総裁の遺影が掲げられ、そのもとで候補者の名前の上に次々と赤いバラが咲き始めた。結果は、衆院が追加公認を含めて286議席、半数改選の参院が69議席を獲得、これにて与野党の伯仲状態は解消された。
自民党の勝利、政局の安定を取り戻したのは、ここでは大平の死との引き替えの「弔い合戦」ではあったが、衆参ダブル選挙を選択させた田中の炯眼ぶりも、また光った。
大平の生前、田中は親しみを込めてこんな“大平評”を口にしていた。
「あいつは、政治家というより宗教家だ。俺は現実的な政治家だが、あいつは哲学が先にくるんだ。しかし、“讃岐のヌカ漬”と同じで、噛んでいると甘みが出てくる。俺より本を読むからな。どうしてもあいつには甘くなってしまう」
一方の大平は、「角さんは凄い。努力家で、誰もかなわない鬼才の人だ」と言っていた。年齢は田中より8歳年上だが、「兄貴」と呼ぶこともあった。田中は強大無比の人脈で知られていたが、大平以上に心を許した政界人はいなかった。大平を生涯の「盟友」として、向き合ったのだった。
★似た生いたちの二人
世に生涯の「盟友」と呼べる友人がいることは、これ以上、人生を豊かにしてくれることはない。しかし、いくら親しい友人であっても、「盟友」関係まで行くことはなかなか難しいものである。その条件が、二つほどある。
一つは、互いの生いたち環境が似ていること。二つは、人物として自分にはない、尊敬できる部分があるということである。後者の「尊敬」という部分では、前述した互いの評価の中でうかがうことができるが、前者については、次のような“共通点”があった。
大平は香川県の農家の生まれだが、6人の兄弟姉妹もあって苦しい家計の中で育った。つまり「讃岐の貧農の息子」である大平と、「越後(新潟県)の馬喰の息子」である田中は、共に努力で世に出てきた。
また、田中は最愛の長男であった正法が5歳で病没して悲嘆に暮れたが、大平もまた長男・正樹を26歳のまだこれからというときに亡くしている。
正樹は大平と同様、クリスチャンの洗礼を受け、慶應義塾大学法学部を卒業した。その後、神崎製紙に勤めたが、世界の見聞を広めるために一人で海外を回っていた。これは、やがて父親の「後継」との含みもあったようだが、オーストリアのウィーンで突然の歩行困難となった。診断結果は難病のベーチェット病で、2年近くの闘病生活の末に亡くなった。
大平の落胆ぶりは大きく、その後の文章にも「(正樹は)何物にも変えられない私の全部に近い存在」「生涯最大の悲しみ」と記し、多磨霊園の墓碑銘に「パウロ・ミキ大平正樹。父であり友である大平正芳書」とも刻んだのだった。
昭和27年10月、田中が吉田(茂)自由党から衆院3回目の当選を果たしたとき、池田勇人蔵相の秘書官だった大平が、同じ自由党から初当選を飾った。議員会館が同じになり、ここから以後、肝胆相照らす「盟友」関係が始まることになった。
(本文中敬称略/この項つづく)
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【著者】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。