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田中角栄「怒涛の戦後史」(25)元通産省事務次官・小長啓一(下)

 通産大臣秘書官の小長啓一が『日本列島改造論』出版チームのまとめ役として汗を流した結果、本は昭和47(1972)年7月の自民党総裁選を前にした6月に完成した。

 田中角栄が「ポスト佐藤(栄作)」の総裁選出馬を決意したことで、田中派幹部の二階堂進(のちに田中内閣官房長官)や田中の秘書の早坂茂三(のちに政治評論家)らから、「まだ出来ないか」「6月半ばの刊行は絶対に譲れないのだ」といった、やいのやいのの催促もあった。

 また、その間には本のタイトルをどうするかでもだいぶ揉めた。当初、候補に挙がっていたのは「国土改造」「国土総合開発」などだったが、田中は「ちょっと堅いな」と首をタテには振らなかった。やがて小長が「日本列島改造論」と書いた紙を見せると、田中は「うん。これが一番分かりやすい。これで行く。ご苦労さん」と言って、表情を緩めたのだった。

 田中は7月の総裁選に向け、右手にこの雄大な構想である『日本列島改造論』を、左手に「決断と実行」のキャッチフレーズを掲げて出馬、ライバルの福田赳夫を競り落として首相の座に就いた。尋常高等小学校卒、持ち前の明敏な頭脳に努力を重ね、それまでは官僚出身の天下だった政界に、「叩き上げ」が奇跡を起こした瞬間だった。

「今太閤」「庶民宰相」との国民の熱烈な声に迎えられ、首相就任当初の支持率は、当時としては異例の60%を超えた。また、『日本列島改造論』は、最終的に93万部を超える大ベストセラーとなったのだった。

 田中が首相に指名された7月6日、これで通産大臣秘書官から解放されて本省に戻れると思っていた小長に、すでに官邸に入っていた田中から呼び出しがかかった。小長は首相就任のお祝いの言葉の一つも送ろうと思っていたが、小長の顔を見るなり田中が切り出したのだった。

「君、(総理)秘書官頼むぞ。列島改造をやってくれ」

 いかにも、せっかちの「角さん」らしかった。やってくれるかではなく、ズバリ「頼むぞ」である。小長はその瞬間、通産大臣秘書官から総理大臣秘書官となり、2年余の政権を支えることになったのだった。

 小長は総理大臣秘書官となって間もなくの、こんな思い出を語っている。

「田中さんの日中国交正常化で、私も中国に同行した。向こうの人民大会堂で、突然、私に手を差し伸べてきた人がいた。なんと周恩来首相で、『あなたが“日本列島改造論”のゴーストライターですか…』と言われた。中国側の調査能力の凄さには、驚かされたものです」(『週刊新潮』2015年12月17日号)

 人生において乗るかそるかのとき、物事を任せられる優秀な部下と出会えるかで、その後の運命もまた大きく変わる。小長という“忠臣”と出会った田中には、「運」の強さがあったということだった。

田中の「報恩」次官

 小長には忘れられない田中との思い出が、山ほどあるようだった。

「初めて通産大臣秘書官として目白のご自宅に伺ったとき、いきなり田中さんから『今朝の新聞にはこう書いてあったが、これはどういうことか』と聞かれたことがあった。朝、早かったため、私は新聞を読んでいなかったが、その日のうちに全国紙など7紙の購読申し込みをしたものです。

 田中さんという人は、決して人に『勉強しろ』とは言わないが、自然と人を勉強しなければならない状況に追い込んでしまう人だった」(前出『週刊新潮』)

 また、田中自身の「勉強家」については、こんな話もある。

 田中は宴席に出ても、夕飯は目白の自宅でとるのを常とした。その後、風呂に入っていったん就寝、夜中の1時から2時ごろに起きて床の中で書類などに目を通し、また4時ごろひと眠りのあと6時には起き、7時すぎからの陳情客に備えるというものである。

 そうした中、通産大臣秘書官の小長らは、夜のうちに翌日の国会での答弁資料などをつくり、田中の自宅の郵便ポストに入れておくことになっていた。それを、夜中に目を覚ました田中が自分で取りに行き、床の中で確認するというものだった。

「勉強家、努力家、記憶力の凄さ、人への気配り、どれを取っても飛び抜けていた。あのようなタイプの政治家が出ることは、二度とないのではないか」

 これも小長の述懐だが、小長が総理大臣秘書官を辞めて本省に戻り、やがて通産省事務次官となったさなかに、田中は脳梗塞で倒れることになる。

 小長は岡山大学の法文学部卒、東大法学部卒がしのぎを削る通産省では異例の学歴だった。
「岡山大卒の小長の次官就任は、田中のさしがねにほかならなかったのでは」との見方が、現在の経産省にも残っている。

 田中の「報恩」ということのようであった。
(本文中敬称略)

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【著者】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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