★浅草時代に出会った面白くて怖い人たち
おなじみ著者十八番のヤクザ漫談といえば、往年のファンには即座に思い浮かぶ顔ぶれがいるだろう。
任侠映画の主人公に激しく感情移入するあまり、殴り込みの場面で興奮、助っ人を買って出たつもりで劇場のスクリーンを思わず本当に短刀で切り裂いてしまった“銀幕破りのセイちゃん”や、店員の態度に怒って某デパートの7階から地下までウンコを撒き散らした“オペラのジューちゃん”。また、詰めた小指の先になぜか般若の面を彫り込んでいたという“シャチハタヤクザ”やら、個人的な好みとしては額に全力で「悪」の一文字を刺青にして鬼の形相でのし歩いていたヤクザの話など、みな浅草に実在したとはいえ今となってはもはやファンタジーの香りすら漂う。
暴対法、暴排条例と次々に包囲追及の度が過酷さを増してヤクザの本格的なマフィア化が囁かれる昨今、以上列挙したような“キャラ立ち”した面々は古きよき…とは言わねど、すっかり懐かしき存在と化した観は否めない。本書はそんな、どこか笑えてちょっと奇妙な親分衆の姿を虚実取り混ぜて描く、新書のスタイルでは珍しい短篇集。
壮絶な死に様がいまだに語り草の四代目山口組組長・竹中正久は山岡荘八の『徳川家康』が愛読書で、歴史に造詣が深く、折りに触れて子分衆に蘊蓄を傾けたそうだが、歴史談義ならまだしも、収録の「理系ヤクザ」の組員たちはたまったものじゃない気の毒ぶり。なにしろ親分が東大理科Ⅰ類出身で、興が乗るとひたすら数学、物理学、量子力学に果ては「源氏香」についてまで講義が止まらぬから始末が悪い。小林信彦『唐獅子株式会社』、あるいは今野敏『任侠学園』の系譜に連なる爆笑のパロディー。外出自粛のこの頃、時間消費の友にうってつけだ。
_(黒椿椿十郎/文芸評論家)
【昇天の1冊】
コロナによる外出自粛でストレスが溜まっているせいか、文句や批判ばかりが目立つ嫌な風潮だ。そういう時はせめて、心が温かくなる書籍でも読んで気を和ませたい。
手にとった1冊は、『何度でも泣ける「沁みる夜汽車」の物語』(ビジネス社/1400円+税)。「ありふれた鉄道で起きたありえない感動の実話」というサブタイトルが付いた単行本。
[鉄道がつないだ10のあたたかいストーリー]と題された短編10作が所収されている。「利用者を見守り続ける駅のなかの理髪店〜JR小浜線加斗駅」は、駅内にある珍しい理髪店のストーリー。昭和26年開店、駅員室を改装して営業してきた。無人駅なので、切符の販売も行う一風変わった床屋さん。なぜ、そんな形態に至ったのか、そこには人知れないドラマが…。
「夫婦で守り続けたなつかしい釜飯の駅弁」は、今ではほとんど見られない、停車中の列車の乗客にホームで駅弁を立ち売りする仕出し屋が主人公。場所は長良川鉄道美濃太田駅。弁当の立ち売りは昨年6月、惜しまれつつ終了した。愛されて60年、苦渋の決断をした理由とは…。
駅と汽車―誰にでも思い出の鉄道や場所があるだろう。しかも本書の物語は、「旅」といった非日常からくるものではなく生活・暮らしと密着している。だからこそ人生が投影されていて、胸に沁みる。
殺伐とした世相を一時忘れてみたい方にオススメだ。NHK BS1のドキュメンタリー『沁みる夜汽車』の書籍化。
(小林明/編集プロダクション『ディラナダチ』代表)
【話題の1冊】著者インタビュー 篠原常一郎
なぜ彼らは北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか 育鵬社 1,500円(本体価格)
★個人独裁を正当化する_ための思想にすぎない
――そもそも“チュチェ思想”とはどんなものなのでしょうか?
篠原 チュチェ思想とは『主体思想』とも書きます。北朝鮮の建国者の金日成が唱えた国家理念で、マルクス・レーニン主義をもとにして作られました。1953年の朝鮮戦争休戦後の国内政治の派閥争いの中で、金日成は、共産主義大国のソ連や中国におもねることなく、朝鮮独自の“主体性”を確立する必要があると唱え、権力を確立していきました。しかし、チュチェ思想の実態は「主体性を発揮するためにはすぐれた指導者が必要であり、それは金一族である、だから、金一族が北朝鮮を支配する」という個人独裁を正当化するために生み出された思想にすぎません。
――韓国でもチュチェ思想を信奉する人は多いのですか?
篠原 韓国にもチュチェ思想を信奉する人たちがたくさんいます。彼らは「チュサッパ(主思派)」と呼ばれています。韓国では70年代から80年代にかけて、当時の軍事政権に対する学生らの激しい反体制運動があったのですが、その思想的な柱とされたのがチュチェ思想だったんです。その学生運動世代で弁護士出身の廬武鉉が’03年に政権を取った時、首相補佐官を務めたのが、後輩弁護士の現大統領・文在寅です。そして、文大統領の司法修習の同期が現ソウル市長です。私は現政権を「本格チュサッパ政権」と呼んでいますが、彼らはまさに今の韓国を牛耳っているわけです。
――チュチェ思想は日本にも広まっていると言います。どのくらい浸透しているのでしょうか?
篠原 日本では、’71年以来、各地にチュチェ思想研究会が結成され、近年は沖縄県で毎年、全国的イベントである『チュチェ思想新春セミナー』が開催されています。同会には日本人の教師や大学教授なども多数参加していて、北朝鮮による日本人拉致問題に深く関係しています。
また、’70年『よど号ハイジャック事件』では、赤軍派の犯人らが北朝鮮に亡命しましたが、彼らの配偶者獲得のために拉致された日本人女性の中に、チュチェ思想研究会の参加者が複数いたのです。拉致問題とチュチェ思想研究会との関係については、日本政府は再調査をすべきです。
このような北朝鮮を“理想社会”と教え込み、人々を北朝鮮に奉仕させる“カルト思想=チュチェ思想”の本質を、本書を読んで、学んでいただきたいです。チュチェ思想という“思想ウイルス”に対する、現状では最良のワクチンだと考えています。
_(聞き手/程原ケン)
篠原常一郎(しのはら・じょういちろう)
元日本共産党国会議員秘書。1960年東京都生まれ。立教大学文学部教育学科卒業。公立小学校の非常勤教員を経て、日本共産党専従に。軍事、安全保障問題やチュチェ思想に関する執筆・講演活動を行っている。YouTube「古是三春(ふるぜみつはる)チャンネル」開局中。