米ツアーのシード権を喪失し、国内に戻って2シーズン目。1043日ぶりの勝利の美酒だった。
「豪雨で初日が中止となり、最終日に2日分の36ホールを回り、さらにプレーオフを戦うハードスケジュールでした」(専門誌記者)
優勝が決まった瞬間、石川は心底嬉しそうな表情を浮かべていた。しかし、周囲からは「ヤバいぞ」の声が上がっていたという。
「石川自身も勝利者インタビューで口にしていましたが、腰痛が再発しないか心配していました。1日で2日分のラウンドを回ったので、本人も腰を気にしながらのプレーでした」(同)
それだけではない。石川は別の面でも“危険水域”に入っていたのだ。
国内のゴルフ中継は日中に放送されるため、ゴールデンタイムのような高視聴率は出せないが、それでも「視聴率が5%を切ったら危険」とされており、前週までのツアー平均視聴率は3%台。石川の復活でも大きな変化は見られなかったのである。
石川は日本男子ゴルフツアーの選手会長なので、ツアー人気が高まらない現状に危機感を抱いてきた。練習時間を割き、スーツ姿で協賛企業や関係者に頭を下げ続けたが、天候にまで見放されていた。
「プロゴルフ選手権の舞台は鹿児島県。初日が豪雨で中止になったように、会場入りするのも大変だったプロがたくさんいた。当然、ギャラリーの数だって少ない。すぐ近くでは避難勧告が出されていて、石川は選手会長としてツアーを強行すべきか悩んでいた。結局、決行を決めた後も、『会場が避難地域に入ったらどうするのか』とか『ギャラリーを安全に避難させる方法は?』などと問い詰められて困っていた」(関係者)
会長とはいえ、まだ27歳。そんな若者に責任を押しつける組織もおかしいが、選手会長として石川遼の苦難の日々は続きそうである。