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二世レスラーというのも案外と難しいもので、現在、日本では藤波怜於南(父・辰爾)、橋本大地(父・真也)、坂口征夫(父・征二)などがプロのリングで活動しているが、父親たちと比べたときにはどうしても格落ち感は否めない。力道山の息子である百田義浩&光雄兄弟にしても、結局、中堅どころの域を出ることはなかった。
明らかに父親以上に出世したと言えそうな日本人二世となると、柴田勝頼ぐらいだろうか。
「父親の柴田勝久は、選手よりもレフェリーとしてのほうが知られているぐらいで、新日本プロレスでいくつかのタイトルを獲得している息子は父親を越えたと言えるでしょう。実は、アメリカでも二世レスラーは、父親が地味なほうが成功している場合が多いんですね」(プロレスライター)
親子ともどもトップクラスとなると、WWEの頂点に立った三世レスラーのザ・ロックぐらいで、祖父のピーター・メイビアはサモア系レスラーの重鎮、父のロッキー・ジョンソンも70年代にトップファイターとして活躍しているが、これはあくまでもまれなケース。
父親の存在感が大きければ大きいほど、息子がその影響下から抜け出すことは困難で、一族悲願のNWA王座を獲得したケリー・フォン・エリックにしても、父フリッツの得意技であるアイアンクローを踏襲したあたりを見ると、父を越えたというよりも“七光り”で活躍できた感が強い。
一方、成功した二世では、やはりその父親は無名レスラーであるケースが目立つ。ドリー&テリーのザ・ファンクスの父であるドリー・ファンク・シニアの現役時代は、たまに覆面をかぶったりもする地味な悪役で、息子たちの活躍によってようやくトレーナーとして注目されることとなった。
「息子のファンク・ジュニアと区別するため、父をシニアと呼ぶようになったという事実からしても、父親がいかに無名だったかが分かります」(同)
ニック・ボックウィンクルとなると、その父親ウォーレンの名前すら聞いたことがないというファンがほとんどではなかろうか。
「地味な選手の息子が大成するのには、それなりの理由がある。親が自分の成しえなかった夢を託して、子供が小さい頃からプロレスラーとしての英才教育を施すんですね」(同)
★出世欲に乏しく41歳で王座獲得
ファンク道場で息子たちを鍛え上げたシニアのように、ニックの父ウォーレンもまた、息子が少年の頃から巡業に同行させて、実地でプロレスを学ばせていた。
15歳のデビュー戦において相手を務めたのが、かの“鉄人”ルー・テーズというのも、父親の威光があってのことに違いない。
とはいえ、あまりにプロレスが身近にあったせいなのか、ニック自身はどこか出世に無欲であり、20代の半ばまでは大学に通うなどしながらレスラー活動を続けていて、専業となったのは30歳手前のことだった。
のちにニックはこの頃について、「レスラーはスーツケースひとつで旅ができる仕事」と述懐している。その呑気な言い回しからしても、タイトル奪取などの野心とは無縁であったことが見て取れよう。
そんなレスラー生活に転機が訪れたのは、AWAに定着した30代半ばのこと。天賦の才を見込まれて世界王者に君臨することになるのだが、その王座を初めて獲得したのは’75年で、実にニックは41歳、相当な遅咲きであった。
だが、そこから50歳をすぎるまでに通算4回の王座獲得。在位期間はのべ7年にもわたり、文字通りAWAの顔となって第一線での活躍を続けた。
王者ニックの特徴としては、いわゆるダーティーチャンプのスタイルで、防衛の多くが凶器攻撃やセコンド乱入による反則負け。ただし、試合が終盤にさしかかるまではオーソドックスに試合を組み立てる、テクニシャンとしての一面も見られた。
「使う技は足4の字固めやスリーパーホールド、パイルドライバーなどで、一発で試合を決めるようなスープレックス系の投げ技を使わないのが、相手に花を持たせつつ防衛するニック流の“技術”です」(同)
そうしたインサイドワークは、むろん父ウォーレンの教えから身に付けたもので、ニックの名言に「相手がワルツを踊れば私もワルツを踊り、ジルバを踊れば私もジルバを踊る」というものがあるが、これももともとは父親の言葉であったという。
ニック・ボックウィンクル
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PROFILE●1934年12月6日〜2015年11月14日。アメリカ合衆国ミネソタ州出身。
身長188㎝、体重120㎏。得意技/足4の字固め、パイルドライバー。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)