スポーツ
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スポーツ 2018年12月21日 06時00分
WWEスマックダウン女子王者のアスカ、ビンス・マクマホン会長が祝福も防衛戦を強制
世界最大のプロレス団体WWEは日本時間19日、カリフォルニア州フレズノのセーブマートセンターで、主力ブランドのスマックダウンを開催した。 前日に放送したロウでは、オープニングでビンス・マクマホン会長を筆頭にマクマホン・ファミリーが異例の勢ぞろいした。ビンス会長は「みんなが望むものを提供する」と番組改革を約束した。ロウの幕が開くと、「25年続いているロウは、時代とともに変わってきた」と長寿番組を振り返りつつ、娘のステファニー・マクマホンを呼び入れた。続けて娘婿であるトリプルH、息子のシェイン・マクマホンとマクマホン・ファミリーが並ぶと、ステファニーが「今日から大きな変化を起こす」と番組改革を宣言。シェインも「俺たち4人が責任を持ってベストな体験を提供する」、トリプルHも「みんなが望むものを提供する。今はあなたがオーソリティだ」と視聴者重視を強調。WWEが2019年に向けて、何らかの“変革”を断行するのは明らかなようだ。 ロウ同様、マクマホン・ファミリーの動向が注目されていたスマックダウンでは、あの3人が舌戦を展開した。先日開催されたPPV『TLC』で、ロウ女子王者のロンダ・ラウジーの思わぬ介入により、棚ボタ式で、日本人初のスマックダウン女子王者となったアスカが登場。『TLC』で死闘を繰り広げた前王者のベッキー・リンチ、シャーロット・フレアーと顔を合わせた。 ベッキーとシャーロットがそれぞれリングに登場すると、ベッキーは「ロンダ・ラウジーを私の前に連れてきてくれ。もう少しで防衛できたのにハシゴを外された」と『TLC』で介入してきたロンダへの怒りを爆発させた。シャーロットも「ベッキーは私の後ろに並んで。ロンダは私から王座の機会を奪ったのよ」と不機嫌モード。 ここで新王者のアスカも登場。「私がチャンピオンだ」と王座獲得をアピールし、2人を挑発した。3人が舌戦を展開していると、そこにビンス・マクマホン会長がサプライズ登場。会場が異様なムードに包まれる中、「アスカ、王座奪取おめでとう」と王者を祝福した。しかし、その直後に初防衛戦を提案すると、これまでアスカとタッグを組む機会が多く、今年の東京公演でもタッグを組み人気があるナオミが登場し、そのまま防衛戦になだれ込んだ。 意外な相手との対戦に戸惑っていたアスカだったが、お互いに手の内を知り尽くしているだけに、一進一退の攻防を展開。ナオミはアスカの得意技・ヒップアタックを炸裂させるなどアスカを追い込んだが、アスカはコードブレイカーを繰り出すとアスカロックで捕まえ、ナオミはたまらずギブアップ。アスカが盟友ナオミを相手にタイトル初防衛に成功した。 アスカとビンスがリング上で対峙したことで、今後はスマックダウンも何らかの“変革”が断行される可能性が出てきた。マクマホン・ファミリーの真の狙いは何か?そしてアスカの防衛ロードの行く末はどうなっていくのか?2019年に向けた動きが少しずつ見えてきている。文・どら増田写真・垪和さえ
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スポーツ 2018年12月20日 21時30分
前監督退任から一夜…マンUがクラブOBスールシャール氏を暫定監督に
それまで指揮を執っていたジョゼ・モウリーニョ監督が、18日に退任したマンチェスター・ユナイテッド(イングランド)。18日の退任から一夜明けた19日、後任としてオレ・グンナー・スールシャール氏が就任したことが発表され、複数メディアによって報じられている。 クラブ公式サイトによると、スールシャール氏は今シーズン終了までの暫定監督で、この間クラブは「正式な監督決定のプロセスを進める」とのこと。また、同サイトには「マンチェスター・ユナイテッドは私にとって心のクラブ。このような形でまた戻ってこられたことを光栄に思う。才能豊かな選手たちやスタッフら、クラブの皆とともにこれから切磋琢磨していけることを楽しみにしている」とのコメントも合わせて掲載されている。 今回白羽の矢が立ったスールシャール氏は、1996年から2007年までユナイテッドでプレーしたクラブOBで、在籍中は「366試合出場・126ゴール」をマーク。引退後はクラブの下部組織から指導者人生をスタートさせ、現在は母国ノルウェーのモルデを率いている最中だった。 自身の仕事を一旦投げ打ち、クラブに帰還を果たしたスールシャール氏。これを受けたネット上には「おかえりなさい!頼むぞ!」、「スールシャールが監督は感慨深いものがある」、「身を切って貸してくれたモルデにも感謝やな」といったコメントが寄せられている。 “カンプ・ノウの奇跡”と今でも語り継がれる1998‐1999シーズンのチャンピオンズリーグ決勝では、後半アディショナルタイムに値千金の決勝ゴールを決めたスールシャール氏。果たしてあの時と同じように、苦しむクラブを生き返らせることはできるのか。クラブをよく知るOB指揮官の手腕には、これから大きな注目が集まっていきそうだ。 なお、初陣となりそうな22日(現地時間)の試合で相対するのは、2014年に指揮官を務めたカーディフ。初采配がいきなり古巣との対決ということになれば、更なる注目を集めることは間違いないだろう。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2018年12月20日 17時50分
「ゴルフ中継だけ録画?」協会VSテレビ局 放映権を巡る時代遅れの争い
日本女子プロゴルフ協会(LPGA)は12月18日、都内で記者会見を開き、来年のLPGAツアーは今年開催の3大会が中止、1大会が新設の計36大会で開催すると発表した。 中止になった大会はいずれも日本テレビ系主催のもので、放映権問題に決着をつけることができず、両者決裂した形となってしまった。 LPGAは統括団体が放映権を一括販売するJリーグ方式の導入を計画しているが、日本テレビ側は放映権の帰属に関して歩み寄ることなく、結果的に日テレ系主催3大会の公認を外された。また、『フジサンケイレディスクラシック』などを主催するフジテレビも「LPGAと真摯に向き合い協議してきた結果。テレビ放映権は譲渡しておりません」とのコメントを発表している。 「一言で言えば、LPGAは放送権をインターネット配信事業会社に売りたいんです。もともと、日本の女子ツアーはテレビ局の協力によって発展してきました。しかし、アメリカやヨーロッパ、韓国などの主要ツアーは協会が放映権を保有しており、その権利が収益の柱となっています。若者のゴルフ離れなどもあり、将来を見据えて安定した収益を確保したいということでしょう」(スポーツ紙記者) また、スポーツ中継もインターネット配信が当たり前になっている時代に、いつまでも既存の放送局からディレイ中継(録画)することに、ファンからも不満の声が高まっている。 「今やスポーツの結果はリアルタイムでネット配信されます。しかし、ゴルフに関しては、生放送はごくわずかで、そのほとんどがディレイ中継なんです。放送中はホームページの更新もストップさせ、結果を伏せていますが、SNSですぐに結果が流れてしまうため、視聴者にとっては結果の分かった試合を見せられるハメになります。もはや時代遅れと言ってもいいでしょうね」(同・記者) ネット上では《スポーツの録画中継ってよく分からんよな》《スポーツはライブに決まってるだろ》《野球やサッカーの録画中継見ますか? そういうことだよ》など、ディレイ中継には否定的な意見が多い。 人気選手の登場やファン層拡大のためのサービス向上が功を奏し、ここ最近、女子ツアーは大人気になっている。中継の仕方も時代に合わせて変わっていく必要があるのは当然だろう。
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スポーツ 2018年12月20日 17時40分
那須川天心、メイウェザー戦の次はRISE世界トーナメントか?3.10大田区大会参戦へ!
大晦日の『RIZIN.14』さいたまスーパーアリーナ大会で、プロボクシング5階級王者フロイド・メイウェザーとの“世紀の一戦”を控える格闘技界の“神童”那須川天心(TARGET/Cygames)だが、早くも2019年の初陣が発表された。 天心がRIZINとともにホームリングとしているキックボクシング団体RISEは、2019年最初のビッグマッチを3月10日に大田区総合体育館で開催すると発表した。先月開催が発表されたRISE世界トーナメント『RISE WORLD SERIES』の初戦を行うという。58kg、61kgの2階級で行われ参戦選手は8名ずつ、ワンデイトーナメントではなく、1回戦、準決勝、決勝を3大会に分け実施。RISEはこの3大会について、いずれも「両国(国技館)、幕張(メッセ)級の会場で行いたい」との意向を示していたが、1回戦は大田区総合体育館が会場に選ばれた。 既に58kgトーナメントは、天心(TARGET/Cygames・RISE世界フェザー級王者)、志朗(BeWELLキックボクシングジム・ISKAムエタイ世界バンタム級王者)、ロッタン・ジットムアンノン(タイ/ジットムアンノンジム・ルンピニースタジアムスーパーフェザー級1位、ラジャダムナンスタジアム同級1位)、スアキム・PKセンチャイムエタイジム(タイ/PKセンチャイムエタイジム・ルンピニースタジアムスーパーフェザー級王者)がエントリー。-61kgトーナメントは、大雅(TRYHARDGYM・元K-1WORLDGPスーパー・フェザー級王者)のトーナメント出場が決定。大晦日でメイウェザーとの大一番を終えた天心の2019年の初戦は、少し期間が開くが、おそらくこの大会になるだろう。 「キックの世界トーナメントをやりたい」 これは天心がずっと訴えてきたこと。RIZINで開催するプランもあったが、堀口恭司戦や、メイウェザー戦など予期せぬドリームマッチが実現。RIZINの榊原信行実行委員長は「来年に延期ですね」と話していた。しかし、同トーナメントへの出場が有力視されていた大雅も違う階級ではあるが、RISE世界トーナメントの出場が決定している。RIZINとRISEの友好関係を見てもこのトーナメントに“スライド”する可能性は高い。年明けに発表されるその他の出場選手にも期待したいところ。 「まず来年、RISEでキックの世界トーナメントを組んでもらえたので、そこで勝って、キックで世界一になってからですね」 将来的にボクシング転向も「選択肢のひとつ」としている天心は、キックで世界一になった男として、新たな未来を歩みたいという思いが強い。特に今年は2月のスアキム、6月のロッタンといったタイの強豪と対戦し、世界のレベルの高さを体感した。特にロッタン戦は判定が微妙だった。本人も引っかかっているだけに、先月のRISE両国大会では、リング上で「ロッタン選手、またやりましょう」と再戦をアピールしている。理想は決勝のリングでロッタンと再戦することだが、トーナメントは何が起こるかわからない怖さがある。しかし、天心は「トーナメントは得意」と自認している。メイウェザー戦が終われば、再びキックの練習に切り替えてこのトーナメントで優勝するために全力で調整してくるのは間違いない。 優勝した先には、逆ラブコールを送ってきた“あの男”との対戦も見えてくるのだろうか?どちらにせよ、2019年もキック界は天心を中心に回っていくことだけは確実。メイウェザー戦はあくまでも日本のキックボクサーを世界に広めるキッカケに過ぎないのだ。取材・文・写真/どら増田
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スポーツ 2018年12月20日 17時30分
日本相撲協会が定めた暴力力士への処分基準 親方への基準も必要では?
19日、東京・両国国技館で臨時理事会を開催した日本相撲協会。その中で力士の暴力に対する処分基準が定められたことが、各メディアによって大きく報じられている。 報道によると、処分の基準となるのは暴力を振るった力士の番付。幕下以下は「出場停止、けん責など」、十両以上は「1場所の出場停止」と番付が高くなるほど処分は重くなり、最高位である横綱だと「引退勧告以上」の厳罰が下されることになるという。ネット上を見てみると、賛否両論の様相を呈してもいる今回の一件。もちろん、人によって様々な考えがあることだろうが、個人的には明確な基準が決められたこと自体は評価していいのではと感じている。 ただ、今回の一件に対しては、疑問に思うところもある。前述の通り力士の暴力に関しては基準が設けられているが、親方衆の暴力に関しては特に触れられてはいないことだ。「親方についての基準はないのか」、「力士は分かったけど親方は?」、「親方の暴力も基準を定めるべき」と、ネット上にも筆者と同じ意見を持つ人は少なくない。 角界で“加害者”となるのが、現役力士だけとは限らない。過去を振り返ってみると、弟子をゴルフクラブで殴打した親方や、弟子の命を奪って刑事処罰を受けた親方もいる。これらはあくまで報道によって白日の下にさらされたケースであり、報じられていないケースも含めると相当な事例が存在していることは想像に難くない。 この1年の加害者は全て力士であったため、もしかしたら力士への対応を優先したのかもしれない。しかし、角界全体で一丸となって暴力根絶に取り組みたいのならば、力士たちと同じように親方衆も襟を正す必要がある。「力士に厳しく、親方に甘く」では、さすがに示しがつかないだろう。 厳格な基準は行き過ぎた指導を抑えるブレーキになり、預かる弟子たちへの説得力も増す。今回の対象は力士だけとなったが、今後は親方衆にも明確な基準が設けられることを期待したい。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2018年12月20日 06時00分
「打倒広島」の切り札・筒香のメジャー挑戦表明 DeNA主砲の穴を埋める若手は
主砲の「夢の表明」がトップ人事まで変えてしまったようだ。「2019年に優勝できなければ、またチームの作り直しです。打倒広島への思いは、巨人よりも強いのでは」(プロ野球解説者) 横浜DeNAベイスターズのことである。「小さい頃から夢だったメジャーリーグでプレーしたい、その思いがあると伝えさせてもらいました」 DeNAの主砲・筒香嘉智外野手(27)が契約更改後の会見で、将来的な米大リーグ挑戦の意向を明らかにした。 近年の傾向からして、契約更改後に米球界への意向を公言した選手は翌年オフ、ポスティングシステムによって球団を去っていく。わざわざ公言するのは、ファンの気持ちに配慮してのこと。当該選手からすれば、ファンの応援を得て米球界に行きたい。球団にしても、「ラストイヤー」を公表することで集客数のアップが見込める。また、優勝戦線に絡んだ際のファンの盛り上がり方も違ってくるからだ。「筒香は侍ジャパンの4番でもあります。19年オフに渡米するのなら、2020年の東京五輪・野球競技には参加しないことになります。それ以上に『絶対的な主砲』の退団は、DeNAによって大きな戦力ダウンです。優勝して、筒香を送り出せれば最高なんですが」(前出・同) DeNAは優勝を狙えるまでに成長した。ドラフト会議で立て続けに即戦力の投手を獲得してきたのもそのためで、「打倒広島の一番手」にも予想されていた。しかし、ライバルの巨人は大型補強を敢行、広島が2年連続MVPの丸佳浩を喪失したとはいえ、19年のペナントレースはやはり混戦となるだろう。「DeNAはラミレス監督で優勝し、選手からの人望が厚く、ファンから絶対的な支持を受けている三浦大輔氏(19年から一軍投手コーチ)を監督に迎えるという青写真もありました」(球界関係者) 筒香のラストイヤーである19年に優勝できないとなれば、話は違ってくる。筒香退団は間違いなく、戦力ダウンだ。「切り札・三浦」に恥をかかせたくない。となれば、次の4番バッターが育つまではラミレス監督を引っ張ることになるのでは…。「ラミレス監督は契約を延長しましたが、その任期は1年。仮に優勝したとすれば、優勝監督を退任させることは考えにくい。三浦と一緒に新しいチームを作っていくというファンアピールもできますが」(前出・同)「4番=ホームラン」の定義から考えると、DeNAはドラフト2位の伊藤裕季也内野手(22=立正大)を育てていくと思われる。その育成役をラミレス監督に託すのか、それとも、三浦氏に全てを一任するのかは分からない。 しかし、筒香在籍のラストイヤーである19年、チームが惨敗したら、そのときはどうするのか。当然、指揮官のラミレス監督は敗戦の責任を負わされる。「切り札・三浦」に火中の栗を拾わせるのだろうか。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2018年12月19日 21時50分
やはり3年目は鬼門?マンU・モウリーニョ監督が退任
2016‐2017シーズンから、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)を率いていたジョゼ・モウリーニョ。18日、その監督が退任したことがクラブ側から発表された。複数メディアによって大きく報じられてもいる今回の一件。気になる後任人事についてだが、クラブの公式サイトによると、まずは今季のチームを引き継ぐ“暫定監督”を立て、その間に次の指揮官を探していくという。 就任初年度はリーグカップ、ヨーロッパリーグを制覇し、自身の手腕を大いに証明していたモウリーニョ。しかし、次年度はタイトル獲得などの目立った実績は残せず、迎えた今季もここまで「7勝5敗5分・勝ち点26」の6位に甘んじていた。 クラブ公式ツイッターのツイートが確認時点で「6.6万リツイート・7.5万いいね」を記録するなど、ネット上でも大きな話題を集めている名将の退任劇。日本のファンからも「モウリーニョ遂に退任か」、「今季を考えると仕方ない、今までありがとう」、「後任は誰になるのかなあ」といった声が数多く寄せられている。 一方、こうした声の中には「また3年目のジンクスが…」、「やっぱり3年目の壁は高かった」、「なんでこうも3年目でダメになるのか」といった声も。何のことか分からない人もいるかもしれないが、このような声が挙がるのには、れっきとした理由がある。 今回渦中の人となったモウリーニョは、その前までチェルシー(イングランド)の監督として活動していたが、3年目のシーズン途中に指揮官を退任。さらに、チェルシーの前に在籍したレアル・マドリード(スペイン)でも、3年目を終えた後にチームを後にしている。今回のユナイテッドを含めると、実に3クラブ連続で3年目に政権終焉を迎えているのだ。 ちなみに、モウリーニョは前述した3クラブの内、ユナイテッドを除く2クラブでは2年目にリーグタイトルを獲得している。今回の退任は不幸なジンクスを継続させる一方、幸運なジンクスに終わりを告げる出来事にもなってしまった。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2018年12月19日 17時30分
那須川天心、メイウェザーを「驚かせる動きをしたい」試合の地上波中継も正式決定!
大晦日の格闘技イベント『RIZIN.14』(さいたまスーパーアリーナ)で、エキシビションマッチ(3分3ラウンド)に臨むキックボクシング界の“神童”那須川天心(TARGET/Cygames)が18日、千葉県・松戸市内のTEPPEN GYMで公開練習を行った。天心は約2週間、米のホルヘ・リナレスのジムで、元プロボクシング3階級王者のリナレスから直接指導を受けており、前日に帰国したばかり。約50人の報道陣が詰めかける中、シャドーと、帝拳ジムの葛西裕一トレーナー(元日本&東洋太平洋ジュニアフェザー級王者)を相手にミット打ちを3分ずつ披露した。 リナレスから勧められたレスリングシューズを着用してリングインした天心だが、公開練習では、ボクシング仕様の中に、立体的なスーパーマンパンチや、裏拳のような動きを見せるなど、キックボクシングで培ったテクニックも取り入れた。当日も「キックボクシングの技術も使っていく」という。 練習後、囲み会見に応じた天心。アメリカでの収穫が大きかったのだろう、スッキリした表情で、カードが決定した時よりも自然体に戻っていたのが印象的だった。 「重心がボクサーになったと思う。2週間でだいぶいい動きになった。蹴りがない分、大きく動ける。アメリカでこんなにも変わるんだと思うぐらい変わった。相手は防御がうまい。L字ガードを崩す練習をしている。驚かせる動きをしたい」 そうアメリカでの練習を振り返ると、「怖い感情もありますけど、今は不安はない」と続けた。天心は、5階級制覇のレジェンド、フロイド・メイウェザーのたび重なる挑発について「一発蹴ってやりたい」とニヤリ。「エキシビションとか言って逃げているんじゃないかと思う。世界一になった男がそういうことを言うの?僕は違うと思うので、それも変えたい」と逆に挑発した。 「倒すより、まず当てる。当たれば倒せるパンチを持っている」 天心は「一発ももらえないし、油断するタイミングはない。当てられるタイミングを探す。集中してやらないと。今はメイウェザー戦のことだけを考えたい」とひと筋ではいかないことを認めつつも、己のパンチの破壊力を信じて“ワンチャン”を狙っていく。 「初めてのルールで、拳ひとつで変えられるんだということを改めて思いましたし、これは日本を代表してやる試合。みなさん勝ってほしいと思っていると思うので、その気持ちに応えたい。一発、ぶっ飛ばしてやりたい!」 最後にこう話すと20歳の挑戦者は、笑みを浮かべていた。今回の練習で「ボクシングの奥深さを知ってすごく楽しかった」とボクシングへの興味も強くなったよう。ただ来年はRISEでキックの世界トーナメントを控えており、“あの男”もついに動き出している。「今はキックで世界一になることを考えたい」という天心がそれを達成したとき、ボクシングへの道も見えてくるはずだ。そのためにもメイウェザー戦ではしっかりアピールしておきたいところ。一緒に米に同行した天心の父親で、TEPPEN GYMの那須川弘幸会長は「アメリカでやってきたことをそのままやるだけ。後はやるしかない」と息子への思いを話している。 RIZIN関係者は、一部で権利上の問題から不安視されていた地上波中継に関して「放送します」と明言。これで舞台は整った…と言いたいところだが、メイウェザーが来日し、会場入りするまでは気が抜けない。いや、会場入りしてからも一悶着ある可能性は十分にある。しかし、そこは関係者が天心を全力で守らなければいけない。ルールはメイウェザー側の条件を“丸のみ”したのだから、天心にこれ以上余計なことを考えさせない最大限の配慮を“大人たち”にはしてもらいたいと切に願う。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2018年12月19日 17時00分
非業の死を遂げた名力士 「龍虎(小結)」
美男力士は何かにつけて得だ。たとえ力士がダメになっても潰しが利くからだ。それを実証して見せたのが、昭和40年代前半に小気味のいい突っ張りや右四つからの投げで小結まで上り詰め、現役引退後は一転して映画やテレビドラマなどで活躍した龍虎(本名・鈴木忠清)だった。 龍虎は、その最後もまた劇的だった。家族でお参りに訪れた神社の、それも階段の途中で突然倒れ、そのまま息を引き取ったのだ。 俳優転向といい、その死に方といい、ファンを驚かせた龍虎は、昭和16年1月9日、羽田空港に近い東京都大田区大森で生まれている。小さい頃から背が高かったこともあり、両親は早くから「この子は力士にしよう」と決めていたという。 16歳のとき、東京都立大森高を中退し、憧れていた初代横綱若乃花のいる花籠部屋に入門。このとき、すでに身長は181センチもあったが、体重が75キロしかなく、ヒョロヒョロとしていた上、稽古するとバタバタと倒れるので、口の悪い兄弟子たちから「デンチュー」と呼ばれた。電柱のことだ。 昭和32年初場所で初土俵。同期は50人もおり、その中に後の横綱北の富士、幕内若ノ州らがいた。 龍虎は本名の鈴木に山をつけた「鈴木山」という四股名で土俵に上がったが、とにかく弱かった。後に北の富士が自著『土俵で燃えろ』の中でこんな一節を披露している。「前相撲でなかなか勝てなかったが、おれより弱いヤツがいる、と安心させてくれるヤツがいた」 その弱いヤツが、龍虎だった。 このことは、番付に四股名が載る前の前相撲に3場所もいたことでも分かる。序ノ口は1場所で通過したが、序二段を抜けるのに14場所もかかり、三段目に7場所、幕下には35場所もいた。年6場所だから、幕下だけで6年近くもいたのだ。 こんなふうに、一向に目が出なかった龍虎。「四股名でも変えたら出世運も変わるのでは」 そう思った龍虎は「花武蔵」や「若神山」に改名。そしてもう一度「花武蔵」に戻し、さらに師匠の花籠親方(元幕内大ノ海)に勧められて「龍虎」に変えた。この龍虎を名乗ったのは幕下31場所目のことで、4場所後に幕下優勝して、やっと十両に昇進した。★お前みたいな弱いヤツは… この間の昭和37年夏場所、初代横綱若乃花が引退し、二子山部屋を興して花籠部屋から出ていった。泣いて同行を願った龍虎に、若乃花はひと言。 「お前は残った方が(稽古相手もいて)いい。第一、お前みたいな弱いヤツは連れていけない」 こう言って断られたのだ。これは若乃花の親心だったが、発奮材料になったのは間違いない。 昭和42年春場所。龍虎は27歳で入幕すると、まるでこれまで足踏みした分を取り戻すように、眠れる才能を一気に開花させた。この新入幕の場所で、優勝次点の11勝をあげ、敢闘賞を受賞。はつらつとした相撲の上に、力士にしておくのがもったいないような美男だから、人気が沸騰するのは当然だった。 こうして、ついに人気力士の仲間入りをした龍虎は、この1年後の昭和44年春場所で、再び大爆発を起こす。この場所は、2日目に横綱大鵬の連勝が“世紀の誤審”により45でストップし、ビデオ判定が採用されるきっかけになったことで有名だが、龍虎は5日目にこの大鵬を破るなど、12勝をあげて最後まで優勝戦線に踏みとどまり、殊勲、敢闘をダブル受賞したのだ。 龍虎は春場所とはすこぶる相性がよく、1年後の昭和45年春場所には新三役の小結に昇進している。 結局、この自己最高位となる小結に計3場所在位し、華やかな土俵生活を謳歌していたが、入幕4年目の昭和46年九州場所6日目に大きな運命の転換点を迎えた。巨漢力士として知られる義ノ花の上手投げに横転したとき、左足のアキレス腱を断絶してしまったのだ。 「(入院が)2カ月もかかるとは参ったな。まあ、いいや。ついでに飲みすぎて痛めている肝臓の治療もやってもらうか」 病院に担ぎ込まれた龍虎はこう言って笑い飛ばしたというが、治療は意外に長引き、再び土俵に立てるようになるまで3場所もかかった。その間、番付も前頭3枚目から十両を通り越し、幕下の西42枚目まで落ちていた。 この龍虎の不運なけがが後に公傷制度のできる引き金になるのだが、ここからの鮮やかな復活ぶりが、また龍虎人気を高めた。幕下3場所、十両も3場所で通過して、1年後には再び幕内に戻ったのだ。昭和48年名古屋場所のことだった。 龍虎の絶頂とも言えるのが、翌昭和49年秋場所14日目の横綱北の湖戦だった。激しい突っ張り合いからもろ差しになり、北の湖が出てきたところを回り込みながらはたいた。すると、横綱になったばかりの北の湖が大きくバランスを崩し、さらに突き落としの追い打ちをかけるとばったりと前に落ちたのだ。これが龍虎にとって2個目の金星で、戦後の大相撲界を代表する大鵬、北の湖の両方を破った力士としても名を残すことになった。 この2場所後には小結にも返り咲いている。元三役力士が幕下まで落ちて、再び三役に復帰するのは、戦後初めてのことだった。 ところが、こんな奇跡を演じた龍虎を、またまた不運が襲った。昭和50年夏場所初日、旭国戦の最中、4年前とは反対にあたる右足アキレス腱を断絶したのだ。 すでに34歳になっていた龍虎は復活を諦め、この場所限りで引退。年寄「放駒」を襲名した。★四股名のまま芸能界進出 いかにも江戸っ子らしい、さっぱりした決断だったが、2年後にもう一度、同じような決断をして大相撲界を去った。すでに放駒親方時代から、その美男ぶりを買われて映画やテレビドラマなどに出演していたが、本格的にタレント、俳優、さらに大相撲関連のコメンテーターとして活動する決心をしたのだ。四股名をそのまま芸名にした「タレント龍虎」の誕生である。 そして、その名を一躍、有名にしたのが昭和50年から17年も続いたTBS系列の料理バラエティー『料理天国』の試食係だった。ビシッとした背広姿で登場して、出来立ての高級料理をいかにもうまそうに食べ、「おいしいですね」 とひと言もらすのが当時の流行語にもなった。また、テレビドラマ『大江戸捜査網』や北島三郎の舞台などでも欠かせない存在で、『暴れん坊将軍』『桃太郎侍』『名奉行遠山の金さん』など、あちこちから引っ張りだこ。いわゆる売れっ子になったのだ。 この間、平成2年と10年の2度、クモ膜下出血で倒れているが、そのたびに奇跡的な回復を見せている。裏には、平成4年4月に結婚した貴子夫人の献身的な支えがあったのは言うまでもない。 この貴子夫人は観世流太鼓16世宗家、観世元信さんの長女。1男1女をもうけ、龍虎は幸せの絶頂にひたっていた。 ただ、この不死鳥のような復活劇が、あるいは非業の死の伏線になったのかもしれない。 平成26年8月29日、龍虎は貴子夫人、長女珠子さん、長男則裕さんの家族4人で静岡県掛川市を旅行し、市内の事任八幡宮をお参りした。ここは龍虎が3年ほど前からよく参拝に訪れていたところで、お参りする前にいつものように社務所に立ち寄り、関係者と談笑している。「以前、お願いしていたことが叶ったので、そのお礼参りに伺いました」 そう明るく話す龍虎に、「お若く見えますね」 と関係者が話しかけると、嬉しそうに笑っていたそうだ。この時点ではすこぶる元気だったのだ。 その後、家族は社務所の奥、271段の階段を登ったところにある社に向かった。この家族旅行をとても喜び、最初は張り切って歩いていた龍虎だったが、間もなくペースダウン。「少し疲れたのでゆっくり行く。みんなは先に行って」 先に登った貴子夫人だったが、いつまで経っても来ないので後戻りしてみると、階段の途中に龍虎が倒れているのを発見した。 すでに息はなく、駆け戻った則裕さんが慌てて心臓マッサージをしたが、意識は戻らない。救急搬送された龍虎は、掛川市内の病院で死亡が確認された。死因は循環器疾患。享年73。 葬儀は、この急な死から7日後の9月5日。葬儀委員長は同期入門で現NHK解説者の北の富士さんが務め、棺の中には、向こうに行ってもお腹が空かないようにと、貴子夫人手作りの弁当が納められた。 龍虎は天国でその弁当を広げ、いつもテレビ番組で見せたように、こう言ったに違いない。「おいしいですね」と―。相撲ライター・大川光太郎
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スポーツ 2018年12月18日 22時00分
プロレスラー世界遺産 伝説のチャンピオンから未知なる強豪まで── 「ハーリー・レイス」NWA王座の権威を守った“キング・オブ・キングス”
今ではローカルタイトルに成り下がった感のあるNWA世界ヘビー級王座。だが、少なくとも80年代までは紛れもない世界最高峰のベルトであり、同王者は誰もが一目置く存在としてプロレス界に君臨していた。 そんな中でも“キング・オブ・キングス”と称されるのが、ハーリー・レイスである。※ ※ ※ 第二次世界大戦後の1948年、プロレス界復興のためアメリカの有力プロモーターたちが中心となってNWA(ナショナル・レスリング・アライアンス=全米レスリング同盟)が創設された。その加盟団体はカナダ、メキシコ、日本にまで広がり、コミッショナーにより認定されたNWA世界ヘビー級王者は“全世界プロレスラー3000人の頂点”とも称された。 なお、記録上の初代王者は1905年に戴冠したフランク・ゴッチとなっているが、これは同王座に権威付けするための処置で、実質的には戦前から活躍したオービル・ブラウンが初代である。それ以前の王者はいずれも当時の有名選手を並べただけだった。 そんなNWA王者の中でも歴代ナンバーワンは誰かとなれば、真っ先にハーリー・レイスの名前が挙がるのではないか。「長期政権を築いたということでは、ルー・テーズやリック・フレアーも同等でしょうが、テーズに関してはその全盛時を知るファンは極少数でしょうし、往年の映像もほとんど残っていない。また、フレアーはそもそもレイスの作り上げたスタイルを踏襲した面が見られますからね」(プロレスライター) この頃のNWA王者は、アメリカ国内はもちろんのこと、世界中の提携団体を渡り歩き、連日の防衛戦をこなしていた。唯一の王者だけに簡単には欠場できず、そんなハードスケジュールを消化することが最大の仕事でもあった。 対戦相手はいずれも一世一代の晴れ舞台とあって目いっぱいに仕上げてくるのが常であり、これと真っ向からぶつかっていたのでは体がいくつあっても持つわけがない。なので、それなりの戦い方が求められた。「ダーティチャンプの元祖としては、40年代に全米で人気を誇ったバディ・ロジャースが有名で、こちらはわざと反則負けを食らうことも多かったようです。しかし、反則防衛ばかりではNWAの権威が落ちるので、レイスは相手が凶悪ファイターならラフ、技巧派ならテクニックで付き合って、その上で適度に挑戦者をいなしつつ、のらりくらりと防衛を重ねていった」(同) もともと喧嘩が強くレスリング技術も高かったというが、特段そうしたアピールをすることはなく、NWA王者としての“仕事”をまっとうしている。★ライバルを退け長期政権を築く 日本においても挑戦者の顔ぶれは、ジャイアント馬場をはじめジャンボ鶴田、タイガー戸口、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ディック・マードック、ミル・マスカラスと多岐にわたり、そのいずれとも好勝負を繰り広げている。「中でもマスカラスやマードックは、このレイスとのNWA戦こそが日本でのベストバウトだったとの声もあるぐらいです」(同) 対戦相手に花を持たせるのと同時にNWA王座の権威を守り、なおかつ自分の体を壊すことなくスケジュールをこなしていく。試合運びの巧さとタフネスを備えていたからこそ、そんなベクトルの異なるミッションを同時に遂行し、長期政権を築くことができたのだ。 レイスは技ひとつをとってみても、大会場で見栄えのするものを選んだ。しっかり間合いを取ってヒザを高く上げてから打ち落とすニードロップ、滞空時間の長いブレーンバスター、そしてフィニッシュのダイビング・ヘッドバット。やられ技もスケールが大きく、コーナーポスト最上段から高々とデッドリー・ドライブで投げられてみせた。「そんなレイスを馬場は高く評価していて、NWA王座から陥落していた’82年には、自身のPWF王座や鶴田のUN王座を明け渡しているし、それ以前にもブッチャーとの抗争アングルを組んだりしています」(スポーツ紙記者) ’75年に開催されたオープン選手権では、ブッチャーの椅子攻撃により脱臼させられたレイス。両者は翌年のチャンピオン・カーニバルで会場外まで飛び出す大乱闘を繰り広げ、決着戦もノーコンテストに終わっている。 しかし、’77年にレイスがNWA王座に復帰したことから、ブッチャーとの抗争は自然消滅。このときレイスに敗れた王者がテリー・ファンクで、こちらがブッチャーとのライバル関係を引き継ぐことになった。ハーリー・レイス***************************************PROFILE●1943年4月11日生まれ。アメリカ合衆国ミズーリ州出身。身長185㎝、体重122㎏。得意技/ダイビング・ヘッドバット、ブレーンバスター、パイルドライバー。文・脇本深八(元スポーツ紙記者)
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