スポーツ
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スポーツ 2019年05月03日 20時00分
G1クライマックスと闘魂三銃士〜平成の新日本プロレス〜
平成の新日本プロレスの中で、1.4東京ドームとともにヒット企画となったのが『G1クライマックス』(G1)である。 G1は1991年8月、史上初の両国国技館3連戦の目玉企画として開催されたリーグ戦が始まりだ。当時IWGPヘビー級王者だった藤波辰爾、長州力や、闘魂三銃士の武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋、最強外国人レスラースリートップのビッグバン・ベイダー、クラッシャー・バンバン・ビガロ、スコット・ノートンの計8選手が、AとBの2ブロックに分かれて総当たりリーグ戦を行い、各ブロックの最高得点選手が最終日に戦い、優勝者を決めるものだった。 ちなみに第1回大会の「G1」はシリーズ名ではなく、あくまでもリーグ戦のタイトルにすぎなかった。愛知県体育館大会は『サマーナイト・フィーバーIN名古屋』、両国3連戦は『バイオレント・ストームIN国技館』というシリーズタイトルが別にあった。新日本も当初は両国3連戦のための一発企画であって、企画当初はG1を毎年継続する考えがなかったとされるが、厳選されたメンバーによる激闘の数々はプロレス界にインパクトを与えた。 また、長州力が全敗を喫するというまさかの展開も話題になった。最終日には、同点で並んだ橋本と蝶野が、決勝進出者決定戦を行い蝶野がSTFで橋本を撃破。決勝では武藤と対戦。武藤は前日、三銃士からピンフォールを許したことがないベイダーからムーンサルトプレスで3カウントを奪い、座布団が乱れこむ金星を挙げていた。 決勝で蝶野は30分の激戦を繰り広げ、初披露のパワーボムで武藤を撃破。ダークホースと言われた蝶野の優勝により、ファンは前日に続いて座布団を投げに投げ、以降プロレス興行への座布団の貸し出しが禁止となってしまった。エンディングでは、闘魂三銃士がそろい踏みして大会を締めた。新日本プロレスの平成時代の幕開けはG1から始まったと言っても過言ではない。 第1回の成功を受けた新日本は継続開催を決断する。第2回大会では、アメリカWCW勢が大勢参加。あのスティーブ・オースチンも出場している。この大会にはNWA世界ヘビー級王座の座を懸けたものとなったが、蝶野が連覇に成功し、同王座を獲得している。 第3回大会では両国7連戦(G1公式戦は中5日)を開催するなど、G1ブランドは、ドーム大会と同じく90年代黄金時代の大きな柱となった。両国5連戦が3連戦に戻り、かつてのMSGリーグ戦や、IWGPのようにシリーズ化していくにつれ、出場メンバーも増加していく。 最終戦は新日本が厳しい時代にあっても両国を使い続けてきたが、ブシロード傘下となり、V字回復を遂げると黄金時代同様、最終日のチケットが買えない現象が起こった。2014年には新日本初進出となる西武ドーム(メットライフドーム)で決勝戦を開催。これが成功を収め、2015年以降、両国に戻ると最終日のチケットは即日完売するようになった。 昨年からはG1の時期に両国を使用できない。新日本としては初となる日本武道館3連戦を開催した。初日こそ空席があったが、2日目と最終日は当日券が出ない状況で、新日本人気を見せつけた。今年も改装直前の武道館3連戦の開催が決定している。2012年から翌年1.4東京ドーム大会メインイベントで、IWGPヘビー級王者への挑戦権利証が与えられるようになったことで、より“箔”がついたのは確か。ちなみにこの制度になってからIWGPヘビー級王者はG1で優勝していない。 来年は東京オリンピック開催のため、都内の主要会場はほぼ使えない。どこで決勝を開催するのか注目が集まる。平成最後のG1覇者は棚橋弘至だったが、令和初の覇者は誰になるのか?6月の大阪城ホール大会が終わると、新日本は令和初のG1モードに突入する。※文中敬称略取材・文 / どら増田写真 / 舩橋諄
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スポーツ 2019年05月03日 17時50分
独走! タイガー・ウッズ「東京五輪」参戦チャージ
タイガー・ウッズ(43)がマスターズVで完全復活し、東京五輪“参戦”の可能性が急浮上した。五輪チケットは開会式が30万円、陸上男子100メートル決勝が13万円と高嶺の花だが、ゴルフは1万円以下。超激安で“生ウッズ”を見られるとあって人気爆発間違いなし! 通常のツアーでは、ゴルフ場にカメラを持ち込むこともスマホで撮影することも禁止されているが、オリンピックはそれが可能。最終日に巻き返す“タイガーチャージ”が見られたり、その姿を映すこともできるのだ。千載一遇のチャンス到来に、世界中のゴルフファン、ウッズファンが五輪チケット獲得を狙っている。 注目の五輪のチケット販売申し込みが始まるのは、大会組織委員会の公式サイトで、ゴールデンウイーク明けの5月9日から。観戦したい競技種目と日時、席種と枚数を選ぶ方式で、締め切りは5月28日。抽選結果は6月20日に通知され、当選者は7月2日までに購入手続きを行うことになる。 「開会式や陸上、日本のメダルが期待される競泳、卓球、柔道などの種目が人気でしたが、直前になって男子ゴルフの人気が急騰し、組織委員会を驚かせています。タイガー・ウッズが先日、マスターズ(米ジョージア州オーガスタ)で11年ぶりのメジャー制覇を果たしたことで、東京五輪出場が急浮上したからです。ウッズ参戦のプレミアが付いたことで大化けしました」(スポーツ紙デスク) 五輪チケットは、半分以上が8000円以下で購入できる。しかし、世界中から演出に注目が集まる開会式は最高で30万円、同じく注目度の高い男子陸上100メートルの決勝が最高で13万円、競泳決勝も最高10万円という高額設定の中で、ゴルフは予選ラウンドがなんと7000円で、決勝でも1万円。 この料金でウッズのプレーが生で見られるほか、日本期待の松山英樹がメダル争いに加わるため、お手頃感は一番。こんな千載一遇のチャンスを逃す手はないという判断だ。 ’96年のプロ転向以来、メジャー通算15勝(歴代2位)など、「天才」の名をほしいままにしてきたウッズだが、’08年に左膝を2度手術してからは苦難の連続だった。翌年には不倫トラブルが発覚し、セックス依存症を告白。’10年に離婚し、スポンサーも次々に離れると、’17年には薬物使用で車を運転し逮捕された。その際、ふらつきながら警察に拘束される映像が公開され、奈落の底に落ち、世界ランクも1199位まで転落した。 そんなウッズが4月、マスターズで’05年以来5度目の優勝を果たし、ゴルファーの最大の憧れであるグリーンジャケットを手に入れたのだから、ファンの期待が高まらないはずがない。 実は復活以前から目標にしていたのが、五輪の金メダルだった。ゴルフファンばかりでなく、世界中の人たちが注目する檜舞台での名誉挽回を考えたのだ。 まだ模索の途中にあった’16年にゴルフ競技が112年ぶりに五輪競技に復活することが決まり、ウッズは東京五輪での金メダル獲得を期したという。それを伝え聞いていたからこそ、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長がマスターズ直後に「次は東京五輪に集中して。東京で会えることを楽しみにしている」とSNSに投稿したのだ。 東京五輪の出場資格は、’20年6月23日のランキングで決まる。世界ランク上位15人には自動的に出場権が与えられるが、ゴルフ競技では「1つの国・地域から最大4人」の取り決めがある。そのため、強豪揃いの米国の代表選考は熾烈。世界ランク1位のD・ジョンソン、同3位のB・ケプカ、同5位のJ・トーマスと続き、6位のウッズは米国代表の「4番手」(4月15日付)。それゆえ、5月の全米プロ、6月の全米オープン、7月の全英オープンにも気合いが入る。 このウッズの東京五輪参戦をより早く察知し、サポートしていた人物がいる。ファション通販サイトZOZOTOWNを運営するZOZOの前澤友作社長だ。前澤社長は今年10月、米男子ゴルフツアー(PGA)「ZOZOチャンピオンシップ」(習志野CC、賞金総額11億円)を日本ツアーと共催で開く。ウッズの五輪参戦を想定して「冠スポンサー」となり、東京五輪のプレ大会を企画したのだ。 「ウッズは10月下旬に来日する際、東京五輪のゴルフ会場となる霞ヶ関カンツリー倶楽部(埼玉県川越市)を下見する手はずになっています。PGAと違って、箱庭のように設計された日本のコースは距離が短く難易度は低い。それでも念には念を入れ、コースをチェックしたいと。その意向を予測し、PGAツアーを誘致したのです。プロ野球の球団買収を封印したのも、ウッズ効果の方が本業のZOZOの売り上げ拡大に繋がるという経営判断が背景にあるのでしょう。この辺のビジネス感覚は見事の一語」(大手広告代理店) 会場となる霞ヶ関CCは、JR川越線の笠幡駅が最寄り駅。付近は郊外の住宅地だが、すでにコース近くの宿泊施設は選手、五輪関係者で抑えられており、ここに世界中からウッズファンが押し寄せるとなると、大混雑は必至。ウッズフィーバーが巻き起こりそうだ。
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スポーツ 2019年05月03日 17時30分
緒方監督が“引きこもり”に? 勢いを取り戻し始めた広島にまた難題!
4連覇を目指す広島東洋カープが開幕ダッシュに失敗した。過去3年のリーグ優勝は、全て独走状態だった。“逃げ切りの広島”が初めて追う展開となったわけだが、反撃態勢が整う前に緒方孝市監督(50)が精神的に参ってしまうのではないかと危惧されている。 「緒方監督はマジメな性格です。頑固で、自分で抱え込んでしまうところもあります」(ベテラン記者) 序盤戦の低迷には、いくつか理由がある。西川龍馬、野間峻祥、バティスタと、3番バッターを固定できていないところからして、やはり、丸佳浩の流出は痛かったと言わざるを得ない。また、期待のセットアッパー、フランスアの調子が上がってこない。FAの人的補償で得た長野久義も、もたついている。巨人時代、ライトのポジションで守備のタイトル・ゴールデングラブ賞を獲得しているが、「レフトが苦手」という意外な欠点をさらけ出してしまった。 18−19年オフの間に考え、キャンプ、オープン戦で準備してきた構想が崩れてしまった。予定通りにならなかったことを早期に建て直さなければならない。戦力の再分析がチーム浮上のカギとなりそうだ。 しかし、今後、緒方監督のマジメな性格が裏目に出てしまうかもしれない。 「かつて、本拠地・マツダスタジアムの監督室に引きこもったまま出てこない日もありました。試合は午後6時開始なのに午前中にやってきて、データ資料や映像を見入っていろいろと考え込んで…」(関係者) その“引きこもり”が見られたのは、緒方監督が就任した2015年だった。 同年の広島は優勝候補と目されていた。野村謙二郎前監督が戦力を整え、他球団も警戒を強めていた。 「緒方監督は現役引退後、そのまま指導者となりました。現役最後のシーズンは兼任コーチ、引退後はそのまま二軍指導者となり、現在の主力選手を育て、一緒に一軍に昇格したんです。歴代監督の下で学び、満を持しての監督就任でした」(スポーツ紙記者) しかし、15年は4位。3連覇が始まったのは翌16年からである。 チームが浮上のきっかけをつかめずにいた15年は、監督室で考え込む日が続いた。チームの調子が良いときは当然、引きこもることはない。15年と16年とを比べると、緒方監督の采配が大きく変わることはなかった。レギュラー選手が勝てなくてもしばらくは我慢し、投手陣に対してもすぐに引っ込めるということはしなかった。要するに、選手を信じて我慢して使っていく指揮官なのだ。 昨季、広島は40試合以上もの逆転勝ちを収めた。選手たちが緒方監督の我慢に応えようとした結果かもしれない。 「今オフ、菊池のポスティングシステムを利用したメジャーリーグ挑戦もささやかれています。その通りになれば、戦力ダウンは必至。丸に続いて菊池もチームを離れるとなれば、緒方監督は、また最初から若手を育て直さなければならない」(前出・同) 手塩にかけた選手の流出。そう考えると、緒方監督が一人になって考え込む時間は長くなりそうだ。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2019年05月03日 15時00分
“黒船”WWEが日本プロレスに本格侵攻!日本人主力選手も続々移籍
今や世界最大のプロレス団体として、年商600億円とも800億円ともいわれているアメリカのWWE。昭和時代はアントニオ猪木率いる新日本プロレスと業務提携をし、ジャイアント馬場率いる全日本プロレス、当時世界最高峰だったアメリカNWAとAWA連合と対峙してきた。新日本との提携を主導したWWEのビンス・マクマホンSr.が逝去すると、息子のビンス・マクマホンJr.(以下ビンス)が、エースのハルク・ホーガンを中心に据えて全米侵攻に乗り出し、NWAやAWAを主戦場としていた選手を引き抜くとともに、新日本との業務提携も解消している。 日本が昭和から平成に変わった1989年、WWEの日本進出の噂が流れ、これをキャッチした馬場がビンスと交渉。新日本も猪木の政界進出により、馬場とパイプがある坂口征二を社長にしたことから、馬場は新日本に協力を要請。1990年4月13日に、3団体合同興行『日米レスリングサミット』東京ドーム大会の開催が決定した。メインは直前に決定し、ホーガンが全日本のスタン・ハンセンと、新日本時代以来のドリームマッチが実現。ホーガンが“日本だけの”必殺技、アックスボンバーで勝利を収めた。1991年3月にはメガネスーパーが旗揚げした新興団体SWSと業務提携し、東京ドーム大会に全面協力。ホーガンと天龍源一郎のドリームタッグが実現。その後もSWSのシリーズにスーパースターを派遣し続けた。 1994年には『マニアツアー』として、横浜、大阪、名古屋、札幌を回るWWE単独のシリーズを開催も集客は苦戦。しかし、このシリーズに出場した新崎人生やブル中野が関係者の目に留まり、その後WWEと契約している。ブルは日本人初のWWE世界女子王座を獲得するなど、WWEでも活躍した。このシリーズが失敗したことから、SWS崩壊後はWARが契約を引き継いだが、契約が終わると、日本の団体に選手を派遣するスタンスに戻している。 2000年に入り、日本ではCSのJスポーツでWWE人気が上昇。“ストーン・コールド”スティーブ・オースチン、ザ・ロック、トリプルHなどWWEのスーパースターを日本でも見たいという機運が盛り上がった2002年に、『SMACKDOWN! TOUR LIVE in JAPAN』を開催。チケットは完売した。メインでは、ロックがクリス・ジェリコに敗れたものの、エンディングでロックがジェリコをマイクで罵倒した上で、ロックボトムを決めたため、場内は大歓声に包まれた。 以降、毎年のように日本公演を開催し、2005年には主力ブランドのロウとスマックダウンの収録をさいたまスーパーアリーナで行っている。2014年に有料配信サイトWWEネットワークを開設すると、プロレスリング・ノアの主力選手だったKENTA(ヒデオ・イタミ)、新日本プロレスからプリンス・デヴィット(フィン・ベイラー)、AJスタイルズ、カール・アンダーソン、ドグ(ルーク)・ギャローズ、そして中邑真輔が移籍。ドラゴンゲートの戸澤陽、女子もフリーの華名(アスカ)、スターダムのカイリ・セイン(宝城カイリ)、紫雷イオといった主力選手が大挙して海を渡った。この流れは今後も止まりそうにない。 ビンスは成し遂げたいと思ったことは必ず実現させており、平成の日本プロレス界にとって、WWEが本格侵攻してきたのは事実である。取材・文 / どら増田写真 / 垪和さえ
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スポーツ 2019年05月03日 06時00分
“常勝軍団”の平成…三冠王から名捕手まで、福岡ダイエー・ソフトバンクを振り返る
球団別に平成時代を代表する選手を振り返りたい。今回取り上げるのは、平成に入り南海からダイエーホークスとなり、大阪から福岡に移転し、暗黒時代を乗り越え黄金期を迎えた福岡ソフトバンクホークスだ。1松中信彦 新日本製鐵君津時代にアトランタオリンピックに出場。4番として活躍し、決勝のキューバ戦では一時同点となる満塁ホームランを放つ。アマ時代の十分な実績を引っさげ、ダイエーホークスに入団する。 2年間は社会人時代に使用していた金属バットと木製バットの違いに苦しんだものの、3年目以降は主軸として活躍。城島健司・小久保裕紀・井口資仁とともに100打点カルテットとして他球団を震え上がらせた。 特にその勝負強さを特筆モノで、2003年から05年にかけては3年連続120打点を達成。2004年には44本塁打、打率.358で、平成唯一の三冠王も獲得し、名実ともに「平成最強打者」となった。 弱小だったダイエーホークスが常勝となった要因の一つに、間違いなく松中の存在があった。2城島健司 1994年オフに別府大付属高校からドラフト1位で入団。当初駒澤大学進学を表明していたが、「球界の寝業師」と言われた球団社長の根本陸夫氏が強行指名。翌年から監督に就任する王貞治氏の直接出馬もあり、入団となった。 入団から2年間英才教育を受けると、3年目に才能が開花。1997年には打率.308、15本塁打を記録し、レギュラーに定着する。リード面については当時評価が低かったが、当時投手として活躍していた工藤公康の直接指導で徐々に力をつけ、1999年はチームを移転後初となる優勝・日本一に導いた。 2000年以降は不動の捕手として君臨し、2003年には打率.330、34本塁打、119打点という成績を残し、チームの優勝・日本一に貢献。MVPを獲得。平成の「強いホークス」を支えたのは、城島の打撃とリードだった。 その後2005年オフにFAでシアトル・マリナーズに移籍し、2010年から3年間は阪神タイガースでプレーした城島。その存在は、記録以上に大きなものがあった。3攝津正 2008年オフにJR東日本東北からドラフト5位で入団。社会人野球8年目にして夢を叶え、プロの舞台に足を踏み入れる。 すると初年度から力を発揮し、セットアッパーとして毎日のように登板。その登板数は実に70試合で、球団記録を更新。防御率1.74、34ホールドで新人王を獲得した。 さらに2年目も勝ちパターンのセットアッパーとして獅子奮迅の活躍を見せ、71試合に登板。2年連続70試合登板は、あの稲尾和久氏以来。2年連続で最優秀中継ぎ投手賞を受賞している。 2011年から先発に回るが、こちらでも抜群の安定感を見せエースに成長。2012年には17勝5敗、防御率1.91の好成績で最多勝、沢村賞を獲得。2015年まで5年連続二桁勝利を達成した。 2016年以降は故障に苦しみ一軍で満足な結果が残せず、2018年に戦力外通告を受け、最終的に引退を選択。平成後期のエースは、ひっそりとマウンドを去った。社会人で8年、プロで10年の現役生活は、見る者に数字以上のインパクトを与えた。 平成初期はBクラス常連だったが、31年間で「強豪」の輝きを取り戻したホークス。今後もソフトバンクの豊富な資金をバックに、「常勝」を維持していくものと思われる。
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スポーツ 2019年05月02日 20時00分
プロレス番組「ワールドプロレスリング」の歴史〜平成の新日本プロレス〜
新日本プロレスの大会を中継しているテレビ朝日系列の全国番組『ワールドプロレスリング』(ワープロ)。昭和63年4月にゴールデンタイムから土曜の夕方4時に枠を移し『'88ワールドプロレスリング』に改名したが、平成元年に『ワールドプロレスリング』にタイトルを戻し、オープニングテーマと、スポンサー紹介のBGMにエマーソン・レイク&パウエルの『ザ・スコアー』を起用。これが『ワープロのテーマ』として定着し、現在も番組のオープニングテーマになっている他、会場で流れると大きな手拍子をするのが定番となっている。 テレビ朝日の土曜夕方4時枠は、たびたびゴルフ中継が入るため、放送休止が多くファンには不評だった。ただ、学生にとっては視聴しやすく、第2次UWFの旗揚げなどで集客が落ちていた時期に学生のファンを増やす効果はあった。 昭和62年10月には、新日本プロレス黄金時代の立役者の一人でもある古舘伊知郎アナウンサーが勇退。後任に辻義就(よしなり)アナが就任。多くの新日本ファンが“古舘ロス”に陥る中、辻アナは古舘アナより長く、新日本の実況を務めている。 平成5年4月から土曜の深夜に移動。ほぼ毎週放送され、深夜にもかかわらず高視聴率を記録して90年代のドームプロレスを成功に導いた。90年代から2000年代にかけて、ドーム大会がゴールデンタイムの特番で放送されていたのは、深夜枠で好評だったことが大きいだろう。大仁田厚と真鍋由アナウンサーの『大仁田劇場』などの企画はプロレスファン以外にも人気を博した。 2002年頃から打ち切り説がささやかれる中、2004年4月、ついに30分枠に短縮。ライバルだった日本テレビ系列『全日本プロレス中継』が30分枠になってから10年後のことだった。番組の構成を変更されたが、CSやBSなどを駆使して、派生番組を放送。中でも大会を丸ごと放送する『ワールドプロレスリング完全版』は現在でも人気だ。 2002年頃から、吉野真治アナウンサーがメインアナウンサーに。2007年から担当した野上慎平アナウンサーが、引退した飯塚高史に毎試合のように襲撃され、新日本ファンから支持を受けた。 2012年に新日本をブシロードが買収し人気がV字回復すると、吉野アナとともにツートップとして、『ワープロ』の顔となった。吉野アナ、野上アナともに他番組への出演が増え、配信サイト『新日本プロレスワールド』を開設。CSテレ朝チャンネル2『ワールドプロレスリングLIVE』のこともあり、メインアナウンサーを固定せず、テレビ朝日のスポーツアナウンサーや、フリーのアナウンサーによる実況が『ワープロ』で流されることも多くなった。 解説者は、故・山本小鉄さん、故・マサ斎藤さん、柴田惣一氏、木村健悟氏、金澤克彦氏、山崎一夫氏、ミラノコレクションA.T氏らが歴任。平成4年3月には故・櫻井康雄氏が復活しファンを喜ばせた他、平成10年4月のアントニオ猪木引退試合では、古舘&小鉄の黄金コンビが復活している。 「例え30分枠でも地上波は必要」 木谷高明オーナーは『ワープロ』を地上波で継続していくべきと考えている。令和になり、着手したいのは1時間枠の復活と、ゴールデンタイムは無理でもせめてプライムタイムに特番を放送し、ファン以外にも試合を見せていくことではないだろうか。来年は東京ドーム2連戦を開催することもある。地上波の露出はさらに強化したいところ。新日本とテレ朝の関係は昭和、平成、そして令和でもさらに深まっていくはずだ。取材・文・写真 / どら増田
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スポーツ 2019年05月02日 17時30分
大相撲・優勝候補が抱える不安 コンディション不良に取りこぼし…〜5月場所展望〜
12日の初日まで、残り10日と迫ってきた大相撲5月場所(東京・両国国技館)。先場所は「15勝0敗」をマークした白鵬が、“平成最後の”賜杯を手中に収めた。 普通に考えるならば、“令和最初”となる今場所でも優勝候補最右翼となる白鵬。しかし、先場所千秋楽で負傷した右腕の状態は芳しくないようで、春巡業でも十分に稽古は積めていない。この調子が続くようなら、優勝はおろか出場にも暗雲が立ち込めることになる。 仮に白鵬が本調子を取り戻せなかった場合、次の候補となるのは昨年この場所を制した鶴竜。ただ、これ以降は「皆勤2回、休場3回(途中休場含む)」と不在が目立ち、2回の皆勤はいずれも2ケタがやっと。また、先場所対戦した1横綱3大関のうち、栃ノ心を除く3名に敗戦を喫したのも懸念材料だ。 今場所から栃ノ心が抜け、新たに貴景勝が加わることになる大関陣。2横綱が低調なら一気に視界が開けてきそうだが、豪栄道、高安に関しては先場所もそれぞれ格下からの取りこぼしが複数(豪栄道2回・高安3回)。この部分を改善しない限り、“鬼のいぬ間に洗濯”とはいかないだろう。 人によっては、大関として初めての場所を迎える貴景勝に期待する向きもあるかもしれない。だが、昇進にかかる行事や連日の取材攻勢で時間を拘束される中、好成績を期待するのは少々酷。現実的に考えれば、10勝前後で終わる可能性の方が高いのではないだろうか。 2ケタで御の字と言えるのは、“旧大関”である関脇栃ノ心も同じこと。賜杯を手に大関返り咲きとなれば素晴らしいドラマとなるが、この1年コンディション不良を抱え続けていることを考えるとそれは至難の業と言わざるを得ない。 優勝候補となり得る力士にそれぞれ不安があることを考えると、優勝ラインは13勝、もしくは12勝まで下がる可能性がある。となると、役力士だけでなく、平幕力士にも付け入る隙は十分。“令和最初”の優勝争いは、連日星の潰し合いが続く大混戦になるかもしれない。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2019年05月02日 15時00分
プロ野球“不良債権選手”をどうする? リスクも大きい複数年契約に“逆”出来高制の案
プロ野球のオフシーズンにおいて、大きく報道されがちな複数年契約。読者の方のごひいきチームの中にも、これに該当する選手がいることだろう。 ある時は有力選手の流出阻止策として、そしてある時はFA選手との交渉材料として、各球団は複数年契約を戦略的に運用している。ただ、大きな期待を込めたその“誠意”が、空振りに終わるケースもある。 例えば、2014年オフに「3年総額12億円」でソフトバンクと契約した松坂大輔(現中日)。獲得当時は大きな話題となったが、右肩のコンディション不良が続き3年間で登板したのは1回(2016年10月2日楽天戦)だけ。本来なら大減俸となるが、前述の契約によって不釣り合いな大金を払い続ける羽目になった。 複数年契約を用いた球団は、往々にして松坂の一件のようなリスクにさらされる。球団のリスクを軽減するため、そして選手に責任感・緊張感を持たせるためにはいったいどうするべきなのだろうか。この問いに対し、筆者は常々思っていることがある。それは「基準以下の成績→ベース年俸ダウン」とする“逆”出来高制の導入だ。 昨今の複数年契約は、「ベース年俸+出来高」という内容になっていることが多い。もちろん、該当選手が不振に終われば出来高を払わずに済むが、ベース年俸に関してはどのような成績であれきっちりと払わなければならない。 一方、“逆”出来高制では、不振の選手への支払いを抑え1年目から節約することができる。契約期間内でまともに働かず、大金だけをせしめていく“不良債権”も淘汰されるのではないか。 また、選手の成績いかんでは、契約を強制的に打ち切る条項を盛り込んでもいい。自身のプレーが立場に直結するとなれば、どんな選手でも責任感と緊張感を持って契約期間を全うしようとするだろう。 プロ野球ファンなら誰しも、これまでに「つかまされた!」と感じた選手がいるはず。そんな選手に喝を入れるために、ここはひとつ“逆”出来高制を考えてはいかがだろうか。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2019年05月02日 06時00分
“暗黒期”のカープメンバーがランクイン! 広島の平成を代表する3選手
球団別に平成時代を代表する選手を振り返る企画第4弾は、長い暗黒時代と黄金時代を経験した広島東洋カープだ。 平成を代表する選手3人を紹介する。・黒田博樹 1996年オフにドラフト2位で広島東洋カープに入団。2000年代の「暗黒時代」のエースとしてチームを支え、7年で6度の二桁勝利を達成した。 そんな黒田はFA権を取得した2006年、在阪マスコミなどが盛んに「阪神タイガース移籍」と報道。江藤智、金本知憲がFAで他球団に移籍し、チームが弱体化しただけに、当時カープファンは強い危機感を覚えていた。 一時は「移籍濃厚」などと在阪マスコミが書き立てたが、ファンが残留を懇願したこともあり、黒田は「日本では生涯広島」を宣言。この決断は「男気決断」などと言われ、カープファンを大いに感動させる。翌年MLB移籍を表明するが、反対するファンは皆無に等しかった。 MLBでは変化球投手に変身し、結果を出していた黒田。2014年オフ、約20億円とも言われるメジャー球団のオファーを蹴り、「広島で終わりたい」とカープに復帰した。全く衰えを感じさせない投球を披露し、2015年は11勝を挙げた。 そして2016年もチームの中心としてカープを引っ張り、25年ぶりのリーグ優勝に貢献。その年に、引退を表明し、有終の美を飾った。平成の暗黒時代と黄金時代を経験し、両方でチームを支えた黒田の活躍は、多くのカープファンに感動を与えた。・前田智徳 熊本工業高校からカープに入団。その高い打撃センスは職人的で、三冠王3回の落合博満元中日ドラゴンズ監督から「天才」と称されたほど。 ところが1995年にアキレス腱を断裂し、選手生命の危機を迎えてしまう。しかし努力と鍛錬で復帰し、レギュラーへと返り咲く。この間チームは下位に低迷していたが、主力選手として打線を引っ張り、2007年には2000安打を達成した。 広角に打ち分ける打撃センスと長打力、そしてストイックに黙々とプレーする姿はファンはもちろん、選手もリスペクトしていた。・野村謙二郎 1988年オフにドラフト1位で駒澤大学から入団。1年目から1軍に定着し、2年目からレギュラーになると、盗塁王を2年連続で獲得。押しも押されもせぬカープの1番打者として、チームの顔となる。 1995年には打率3割1分5厘、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。当時未開だった「野手としてのメジャーリーガー」に最も近いと言われ、実際に数球団からオファーがあったようだが、「広島のために生きる」として最終的に残留。以降、生涯広島でプレーすることになる。 2005年に2000安打を達成し、同年に引退。球団は将来の監督として考えており、2010年から監督に就任し、Bクラス常連だったチームを2013年にAクラスに押し上げ、2014年も3位に導いた。 一打席は必ず立たねばならないDHに偵察要員の投手を連ねてしまうなど「ご愛嬌」もあった野村だが、「黄金時代の礎」を築いた監督であることは間違いない。選手・監督両面でカープに貢献した。 平成時代は波乱万丈だった広島東洋カープだが、かつては「練習が厳しい」「人気がない」など敬遠されていた時期があった。そんな時代を乗り越え、巨人以来のセリーグ3連覇を達成したことは、素晴らしいの一言だ。文・櫻井哲夫
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スポーツ 2019年05月01日 19時30分
メインはIWGPジュニア戦! 新日本プロレス令和初のビッグマッチは福岡2連戦
平成最後のビッグマッチ『レスリング火の国 2019』を4月29日に熊本・グランメッセ熊本で開催し、大成功を収めた新日本プロレス。4月は日本時間6日、アメリカのニューヨーク・マディソン・スクエア・ガーデン(MSG)に初進出、20日には愛知県体育館で久々のビッグマッチを開催。平成のフィナーレを飾った新日本にとって令和初のビッグマッチは5月3、4の両日に福岡国際センターで開催される『レスリングどんたく 2019』だ。 昨年から2連戦になった5月の福岡大会だが、90年代は福岡ドーム(ヤフオクドーム)で開催していた大会なだけに、今年も成功を収めたいところだ。 初日のメインには、MSG大会でIWGPジュニアヘビー級王座を初戴冠したドラゴン・リーに前王者の石森太二が挑戦するリターンマッチが大抜擢された。リーはMSG大会で、石森の持つIWGPジュニアヘビー王座に挑戦。バンディードを交えた3WAYマッチは目まぐるしい展開の中、石森をリング外に排除したリーが、バンディードをデスヌカドーラで仕留めて王座を獲得している。 直接負けていないのに王座から陥落し、納得がいかない石森はリターンマッチをアピール。これが認められた形となった。13日にはジュニアヘビーの祭典『ベスト・オブ・スーパーJr.』(BOSJ)が開幕し、決勝戦は6.5両国国技館大会で開催される。大会場のメインでもジュニアの闘いが会場を魅了することだろう。現在長期欠場中で、昨年のBOSJ覇者である高橋ヒロムの復帰が待たれる中、ライバルのリー、昨年のBOSJの決勝で闘った石森はともに「ヒロムが帰ってきた時はIWGPジュニアのベルトを持っていたい」という強い思いを抱く。MSG大会を超える激戦に期待したい。 セミファイナルではROH世界TV王座をかけて、ジェフ・コブがタイチの挑戦を受ける。コブはNEVER無差別級王者のウィル・オスプレイとのダブルタイトルマッチに勝ち、見事二冠王に輝いた。 タイチは3.24長岡でタッグマッチながらオスプレイからピンフォールを奪うと、NEVER挑戦をアピール。その際、オスプレイが「ジェフ・コブとやってから」と発言していたことに不満を抱いていた。だが、新日本サイドは王座が移動した後ではあるが、タイチのアピールを受けてコブとのタイトル戦を組んだ。 タイチは自身2度目のNEVER戴冠に向けて、今回も鈴木軍の介入も辞さない無法戦法を仕掛けてくるのは必至。コブはオスプレイ戦同様、パワーで振り切れるか?マイケル・エルガンが退団しただけに、コブにとっては新日本マットでのポジションを確立するチャンスでもある。 初日から博多っ子の心をつかむか?取材・文・写真 / どら増田
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