ようやく不在の理由が判明したのは8月半ばに差し掛かろうとした時期。『女性セブン』が長嶋の緊急入院の事実を報じたからだ。「長嶋茂雄緊急入院! 懸命の病室と家族の相克」と題された記事によれば、脳梗塞の再発ではなく、高熱と我慢できないほどの腹痛を訴えて緊急入院したということだった。
「黄疸の症状が出ており、肝臓周辺の急性疾患ということで検査をしたところ、胆のうの機能が低下しており、胆石ができていた。高齢者に多い病気ではありますが、長嶋さんの場合はなかなか病状が好転せず、一進一退の状況のようです」(女性誌記者)
この記事を受けてか、巨人も公式に入院中ということを認めて発表している。
そんな状況になっているとはつゆ知らず、筆者はこの記事が出るまで、ずっとリハビリ現場の公園に通い続けていた。約14年間にわたって長嶋のリハビリ視察を続け、4616日目(6月30日)でリハビリがストップしていたことをキャッチしていながら、入院の事実をつかめなかったのだから情けない。
筆者は50年間、野球界一筋で通してきた一兵卒の取材記者である。スポーツニッポンでプロ野球担当となり、退社後にフリーとなってからも野球界で取材を続けてきた。
その間、常に球界の太陽であり希望だったのがミスター長嶋茂雄だ。東京六大学のスターから巨人のスーパースターとなり、その後、巨人監督も務めたことは周知の通り。巨人の監督を離れてからも、長嶋は日本球界を象徴する存在であり続けてきた。
そのミスターが脳梗塞で倒れたのは'04年3月のこと。40日で退院して都内のリハビリ施設に移っているが、リハビリ自体は倒れた5日後にスタートさせていたという。現在の公園でのリハビリは、この施設を出て自宅に戻ってからである。
以来、筆者も1日も休むことなくリハビリ現場に通い続けてきた。ただし、長嶋に直撃して話を聞くわけでも、どこかにレポートをするためでもない。ただ、長嶋が完全復活するまで、その姿をこの目で見続けなければ、という記者としての使命感からの行動だ。
だから、いつも遠くからリハビリの様子を見守るだけで、言葉を交わしたことすらほとんどない。長嶋や巨人関係者も、私が来ていることは知っているが、咎められたことは一度もない。
理学療法士である専属の男性トレーナーと広報担当者らが付き添い、田園調布の自宅近くにある多摩川台公園内のグラウンドでのリハビリが始まった。ちなみに、長男の長嶋一茂(52)が顔を見せたことは、私が見た限り一度もない。
徐々に歩く距離が延び、50メートルほどの距離を10往復、さらに公園下から自宅まで続く約1㌔の勾配のきつい坂道を散歩して帰るのが日課となった。
懸命のリハビリによって右半身の麻痺から順調に回復すると、よりハードなメニューに取り組み始めた。握ったタオルをトレーナーが引っ張ってすごいスピードで走ったり、鉄アレイを持つこともあった。
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スポーツジャーナリスト・吉見健明
1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。